木蓮、ボレロ、きのこ!

桜の前に木蓮なんです。

府立植物園の南側にハクモクレンの見事な小道があって、わぁ、今年もいよいよだ♡と心踊らせながらの定期2日間でした。
土曜日、急いでてこんな写真しか撮れなかった、と思ってたら日曜日は空が曇ってて、結局こんな写真しか^^;。
木蓮は、桜よりももっと盛りの時期が短く儚い気がしていて、その神々しい姿を片時も見逃すまいと、用事がなくても毎日観に通うつもりでいたのに…しばらく雨のようですね。春の雨。これも自然。仕方ない…。手前(鴨川に近いほう)の大きい樹のほうが少し遅かったので、次の晴れまで持ってくれたらなぁ。降るとしても、優しい雨であったらなぁ。
ほんとに、こんな写真しか^^;
(この道、結構電線と電柱が頻繁で、逃して撮るのが難しかったりもします…)
肉眼で見ると、陽の光を浴びてふくふくと膨らんだ木蓮の蕾は、本当に神さまに祝福されているとしか思えない輝き。その美しさ。


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ジェルメッティさんとの定期、素晴らしい経験をさせていただいた5日間が終わりました。

華やかで豊かに歌があるけれどもスタイリッシュでキリッとしていて、感情に流されすぎることを良しとせず、隅々までコントロールされた、研ぎ澄まされた美を求められたと感じています
ジェルメッティさんは、同じく指揮者の園田隆一郎くんのお師匠さんらしく、彼もわざわざ東京から駆けつけてくれていました。厳しくも温かい師匠だったと、音楽とは、人生とは何かを身をもって教えてくれた先生だと、熱く語ってくれました。素敵だなぁ。


ボレロのソロ、たった1分ないほどの旋律ですが、管楽器奏者にとっては本当に永遠のように感じる魔の時間。聴いてる人にはきっと当たり前のようにしか思えない全てが、我々にとっては無我夢中でかき集める奇跡の連続です。まず、もう、小太鼓と弦楽器が最弱音で刻む時間の、タイミング通りに狙った音程で思い描いた通りの発音で出られたら、もうそれだけで立ち上がって全世界に感謝したくなるほどの奇跡。最初の音がうまく出られるかどうかだけで、全体の8割がもう決まったと言えます。それがうまくいった瞬間に、奇跡は色褪せ、油断せず次に向かう。うまくいかなかった時には、心がわやくちゃになったまま、負けずに挽回の道を必死に探る!とにかく、次!次!なのです。私なら、私にとっては前半のひと節が長くて、指揮者のテンポ次第では一息で吹けるかどうか命がけの戦いになりますから、とにかく最初の息継ぎポイントまで平常心を心がけつつ、彼方に聴こえる弦のピチカートの響きに耳をすませて、時々くるGの音程を狙います。油断すればあちこちでレガートが破綻する恐れがありますから、片時も気は抜けません。息が減ってきたときは音程が上がりやすいですから、ブレス直前の下のCの音も指を補正して音程を狙います。ひと節めを無難に乗り切れても、ふた節で何が起こるか分かりませんから、ドレミッファッレーソーーーーーーーー…と、Gの音を優雅に伸ばしているように見せかけている間に前半の反省と立ち直りと後半への心づもりと注意点の復習を全て済ませて、神に祈るようにブレスを取ります。このブレス次第で、次のフレーズ最初の音をDの発音がうまくいくかどうかが決まるのです!(…以下果てしなく省略。笑)
弱音で音程が不安定になりやすいのは、管楽器であれば上がり易い下がり易いの別はあってもどの楽器も同じ(フルートは下がりやすい。クラリネットは上がりやすい。だから、フルートが下がり気味でCの音を終えることを想定して、上がりやすいクラリネットのCを下げ気味かつピンポイントで狙って受け取って入るのは、本当に至難。例えばです)。何人か過ぎて、半端に少しだけ大きくなってきたあたりのソロの方々は、音量の加減とテンションの狙いどころが究極に難しいと思います。そして、後の人は、待てば待つほどコンディションは読めなくなり、プレッシャーは倍増します…複数で吹く人たちには、単独で吹く人ほどの怖さは無いかもしれないけど、「同時に出る」「ばっちりハモる」という更に複雑なミッションが課されることもまた確かです。1人1人が、全員全く違う難しさの中で、ただ皆等しく極限に追い詰められた状態でリレーしていくのです。
前の人の健闘を讃えながら音量と音程を引き継ぎ、自分の旋律が始まれば、上がったり下がったりしやすい音を下げたり上げたり1音ずつ補正しつつ、抵抗感(出やすさ)が凸凹まちまちな音をひとつふたつと丁寧にレガートで繋いで、時々あるスタッカートやアクセントを逃さずクリアしつつ、指揮者に歌えとか歌いすぎるなとかもっと小さくとか遅れるなとか早まるなとか言われながら(ジェルメッティさんに限らずです)、時に薄れゆく意識の中で何とか最後まで吹き切り、次の人の幸運を祈りながら反省の海へと堕ちていきます…。1人で吹くぶんにはいくらでも何回でも相当上手く吹けるあの簡単な旋律(!)を、客席+舞台上=2000人近い人様の視線を一身に浴びながら時間通りにヨロヨロせず吹くのは…吐き気がするほど困難なのです(分かってもらえるでしょうか、分かってもらえませんね。大丈夫です、弦楽器の人にさえ、絶対分かってもらえてないですから泣)。

エスクラを担当していた頃は、エスクラでどんなに思い通りに吹けても、あの何の飾り気もない並クラリネットの旋律こそ、全く無傷で、夢のような音色とレガートで、完璧な音程と発音で、驚くほど弱音で、でもまるで手に取れそうな豊かな響きで吹けるようになったら、本物のオケマンだな…と思って憧れていました(だけど、コッチを吹いてると、やっぱりエスクラのほうが絶対キビシーと思わずにいられないんですよね…玄さんは本当に鉄の心臓。素晴らしいです尊敬します!)。自分がこの旋律を、オケの真ん中の席に座って吹く日が来るとは思わなかったなぁ、と、今でも思います。他方、オケの真ん中に座ってかれこれ10年以上になりますが、あの旋律を完璧に納得できるように吹けたことは今だ無く…なんと深い作品かと思い知らされるばかりです。でも、あのたった数十秒、マエストロと同じ時を味わって、時間と空間に遊べたような気持ちがして、なんて幸せな仕事をしているんだろうなぁ、とも思いました。嬉しかった。


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びわ湖の帰りにチラシを見つけて以来きっと行きたいと思っていた、小林路子さんのきのこの絵の展覧会に、遂に行ってきました♡

きのこが好きという気持ちは特になかったのです、でも、ボタニカルアートというのですか、植物の細密画みたいなやつ、私とても好きで、これも多分好きだろうと思って行ったら、本当にとても好きでした。

妹が生まれるまでの人生最初の7年間、私は末の娘として、あの鬼のような母(笑)がごくたまに優しい母に戻る貴重な時間を、時々独占できたりしていました。自宅の前の公園の、その向こうは広い田畑で、あぜ道に咲く春の草花の名前を、母は私に教えてくれました。レンゲ畑やクローバー畑で日がな一日首飾りや花束や王冠を作って母に持ち帰ったりもしました(我ながら、たいへん集中力の高い、物静かな、聞き分けのよい幼児だったと思います…だって怖かったから…笑)。小さな青い花を、一生懸命絵に描いていたら、

「それは大きな犬のお◯ん◯ん、っていう意味の名前なんやで笑」

と教えられて、

「??????????」

となって、それから毎春、大人になった今も、可憐なオオイヌノフグリを見かけるたびに、あの日の驚きを鮮明に思い出し、変な笑いがこみ上げるようになりました笑。三つ子の魂は百まで、です。。

まぁ多分そんなやあんなの幼児体験が少なからず関係あって、虫の気持ちになったかのように間近で微細に見つめる植物画や、今回は菌類画ですが、好きなんだろうなぁ、と、鑑賞しながら思い出したりしていました。

終盤に向かって、小林さんの、並々ならぬキノコ偏愛っぷりがますます余すことなく披露されていて、あぁ、こんなに好きで、これを仕事に出来ていたら、それは本当に幸せだろうな、と、あっぱれな気分になりつつ、自分もすっかりキノコが気になる人になってしまい笑、出口のショップでキノコの本を買ってしまいました笑。そして半日くらいかけてゆっくり読み耽りました笑。夕飯には、冷蔵庫に残っていたキノコ汁をのみました。
ウィーンでよく売ってて、一度買ったけど掃除が大変で辟易して二度と買わなかったEierschwammerl(アンズタケ)が、

「近年若干の毒性が発見され、云々」

と説明されてあって、一瞬ギョッとしたけど、帰って調べたら、やっぱりヨーロッパでは古くから今もなお、食用として愛されているそうです。日本人のお腹に合わないだけなのかも?


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長々失礼しました。ボレロでごちゃごちゃ書くのを一切消そうかどうか迷ってたら多分2日くらい経ちました。まぁせっかく書いたので笑。
ボレロはあんまり悩みだしたらそれだけで簡単に胃に穴を開けられそうだけど、今日、明日のリハーサルでベートーヴェンやメンデルスゾーンを吹いていると、あぁやっぱりこの難しさったら!となりました笑。オーケストラのど真ん中を吹いてる感じ、しますよね、と、祐子さんと苦笑い。


きのこのくだりを次回に回そうかとも思ったけど、やめた。
これで二回分ってことにします。
最後までお読みくださりありがとうございました☆
よい祝日をお過ごしください♪

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