覆りました

スウェーデン放送合唱団とのリハーサル、でした。
お分かりになりますか?
合唱団用の座席、女声が1列に、男声が1列、の、計2列。おしまい。
30人くらいらしいよ、とは聞いていたけど、でも、このセッティングを目にしてさすがに驚きました。

…それはそれは、すごい体験でした。
我々クラリネットとファゴットは、合唱曲の時は大抵、合唱団のすぐ前の列で、合唱団を背中にひしと感じて演奏することが多くて、今回もそうです。
モーツァルトのレクイエム、冒頭から始まって、合唱が入って、初めて楽器から口が離れた一瞬に
「これは凄いな…」
誰からともなく声が漏れました。

全然がなりたてることも力いっぱいめいっぱいという雰囲気もなく、太く深くスケール大きく、全ての発音がクリアに、素晴らしいハーモニーで聴こえてきました。それでいて、極上のピアニッシモ。まるで耳元で、自分のためだけに語りかけてくれているような。
(一方で、演奏しながら
〈ついついあちこちのポイントで合唱団を[ガンバレー!]と応援してしまう〉癖が付いてしまっている自分たちにも気づきました笑。今回はソレはナシで、自分たちの演奏を頑張ります笑。)

心が疲れている人、いろいろあった人、そうでない人も、よかったら明日コンサートホールにいらっしゃいませんか。彼らの声と、モーツァルトの音楽に、皆が励まされると思います。よろしければ、ぜひ。



*****
すごい余談だと思って、よかったら読んでください。

モーツァルトのレクイエムの途中、
『Lacrimosa(涙の日)』が始まると、いつも、いまだに、足元に雨でふやけたベニヤの床の感触が蘇るんです。

高校3年生だった6月、部活(吹奏楽部)の定期演奏会での合唱曲に、この年とりあげたのが『Lacrimosa』でした。神戸の街が大震災で焼け野原になった、5ヶ月後のことです。
母校はまだまだ避難所になっていて、私たちは被害が少なかった六甲山の北側の高校の第2グラウンドをお借りして、プレハブの校舎を建ててもらい、学校生活が何とか再開して間もなくの頃でした。広いグラウンドの真ん中に建ったプレハブだったので、雨が降るとそこは池の中のようになり、薄いベニヤ板の床はひどい湿気でべろんべろんになりました。簡素な屋根を打ちつける雨の音が鳴り響くプレハブ小屋の中で、何もかもが情けないような、それでも十分ありがたいと思うような、でもやっぱりどうしようもないような言葉にならない思いを抱えて、それを絞り出すように一生懸命『Lacrimosa』を歌っていました。あの日から、どうやら25年が経とうとしているようなのですが、それでも、ついこの間のことのように思い出すのです。

…そんな個人的おセンチは、いつもなら
(まぁ、私ったらおセンチだわ)
くらいで笑って済ませられるのですが、今日は、彼らの声に揺さぶられてしまい、ワーと涙が溢れました。

私なんて本当にしれたものですが、もっともっと辛い思いをした人の心にも、モーツァルトはきっと寄り添ってくれるのだと思います。


明日、いいお天気だといいな。
彼らに、素晴らしい京都の秋を見てもらえますように。

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