よかったなぁ

教える仕事をしていて、

(あぁ、よかったなぁ)

と思うのは、生徒が目に見えて上手くなってきたのを感じる時。それは、自分が教えてきたことや、その子をよりよい方向へ導こうと慎重に選んで辿ってきた道が間違っていなかったんだなぁと、ようやく小さな小さな確信が持ててホッとする時でもあります。

逆に言うと、その時以外の時間、生徒が何ヶ月とか何年とかを経て明らかにひとつ次のフェーズへ来たと確信できるその時までは、ずーっと、
(これでいいのだろうか)
(私のやり方は間違ってないんだろうか)
(私が教えていていいんだろうか)
と、不確かで迷いや悩みの多い日々が延々と続くことを意味します。

だから、ほんの時々やってくる「その時」に、上手くなって見せてくれる姿にはとても励まされます。大切なことをひとつひとつきちんと積み上げていけば、そのうち自分で考えられる子になり、私が教えてないことまでいつのまにか出来るようになっていて、あっと驚くこともあります。嬉しいなぁ、よかったなぁ、よかったなぁ…うんうんよかったなぁ!!…と笑、その嬉しさは、ゆうに3日くらい持続します。自分の本番がいくら上手くいってもせいぜい17時間程度の嬉しさです(適当だけど笑。まる1日は持たないイメージです笑)。そして、嬉しい嬉しいとほくほくしながら、次の一手を考えます。まっすぐ、このまま目指す未来に送り出すために。

上手くなるのは、いつだって、右肩上がりの折れ線グラフのようにだんだんではありません。じーっと、停滞しているかに思える長〜い時間を経て、ある日突然ぴょこ、と、ひとつ上手くなる。また、しばらくじーっと、上手くなってる実感の持てない我慢の日々があって、また、いつか、ぴょこ、と、小さくひとつ。そして、あるとき、以前よりずっと楽に楽器が吹けるようになっている自分に気づく。そんなもんだと思います。勉強している本人たちにとっても、多くは「諦めずに努力し続ける時間」の連続であり、教える側にとっては「諦めずに待ち続ける時間」の連続であるように思います。


プロになりたい子がプロになるためには、結局は本人次第で、本人が頑張るしかないのですが、良いものを持っていたり、能力の高い子をお預かりする場合は、やはり、“誰のそばでどんな勉強を積んだか、どんな経験をしたか”は結構重要であると感じます。私自身についていえば、わたし程度の能力でありながらここまでやって来られたのは、私以外の誰にも出来ない頑張りがあったからだと思っていますが(最低条件として)、加えて、これまで私を導いてくださった先生方おひとりおひとりの(クラリネットもそれ以外も)、どの言葉もどのレッスンも欠けては私は今ここに辿りついていなかったと強く感じています(大した“ここ”ではありませんが)。そういう意味で、いま人を教える立場にいる私が負う責任はとても重いものがあるし、自分次第で可能性は大きく広がるとも思っています。
いま私のそばで勉強している子たちは、日本のトップクラスには手が届かずに大学生になった子たちです。東京にいたらもっと広がったであろう視野も、トップクラスの同級生たちと切磋琢磨することも得られない環境です。トップクラスの先生方の門下生になることなくたまたま私のところに来た子たちに、ここも素敵だったと思ってもらいたいから、私に出来ることと、ここで出来ることの全部をしてやりたいと思っています。私に出来ないことも沢山あるから、せめて。視界が広がりすぎないおかげで大きく戸惑うこともなく静かに過ごせる環境は、やりようによってはそれすらもプラスに働くと信じています。でも、プラスに変えるためには、知恵と工夫と想像力と、多めの頑張りは必要だと思っています。



*****
スウェーデン放送合唱団との名古屋公演、終わってしまいました。
(バセットホルンと楽譜と、裏表紙がスウェーデン国旗のデザインで素敵だったプログラム冊子)

よかったなぁ…。

驚きと感動と学びに満ちた5日間でした。このような機会をいただけたことに、各方面に感謝したいです。

(↑京響ブログよりお借りしました。私もちょこっと写っていまーす☆)

Naoko Kotaniguchi Official Blog

1コメント

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  • tontonton3kai

    2019.11.27 14:16

    今ですね。