遺書

4日間のコンクールを終えた後も、現代のネットワークを辿ってたくさんのコンクール参加者の子たちから連絡をいただき、私なりの感想(講評、と呼ぶのでしょうが)やアドバイスをお伝えさせていただいたり、こちらからもいろんなことをお聞きしたりと、楽しく嬉しいやり取りがしばらく続きました。私自身も、考えることや感じること、励まされることがたくさんあり、時代が変わって演奏技術が驚くばかりに向上したように見えても、個人の悩みや迷いは昔と何も変わらないんだなぁと思ったりもしました。
それがやっとひと段落ついた頃、ホッとしたのと寒さが急にやってきたのとで実に5年ぶりくらいに風邪をひいてしまい、楽しみにしていた秋の行楽もパァになり、何とも地味な11月半ばを過ごしました…

紹介していただいて初めて観た古い映画に、1963年東京オリンピックのマラソンで銅メダルをとり、その後27歳で自殺した円谷幸吉さんの遺書が引用されていました。
それ自体はもちろん初めて見聞きしたものではありませんでしたが、若い人の一生懸命な姿を目の当たりにし続けた中だったせいか、何とも心に重く深く、辛い気持ちが残りました。

若い世代では、そんな人がいたことすら知らない人も多いと思います。インターネットで検索したら、当時のことや遺書全文も簡単に出てきますので、ぜひ見てみてください。
そんな若い人が国民の期待の犠牲になったという悲しい事実そのものに思うことももちほん多いですが、そんなことよりも、

「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。」

で始まる遺書を読みさえすれば、たとえどれほど生きているのが耐え難いとしても、死ぬしかないようにその時は思ったとしても、それを超える「生きる理由」が大きくあること、それそのものがはっきりと読む者の胸に迫ります。
ありがとうと言う相手がこんなに居て、こんなに美味しいものがこの世にあって、父と母の側で暮らしたかったと願う青年が、どうしてするりとこの世から去ってしまったか。
どうして止められなかったか。
何としても止めなければいけないんです。
知らないうちに、静かにひとり孤独を抱えて、絶望している人に、気づきたい。
死んだら終わりだから。

生きて辛いことはいっぱいあるけど、生きてさえいれば、また、いいこともあるって、ある程度生きてみたら分かるんだけど、
そこに辿り着くまでに死んでしまったら、どうしようもないから。
いろいろあるけど、それでも、あ〜生きてて良かった、って、美味しいものを食べるだけで思えるような、おじさんおばさんになれるまで、何とか生きてほしい。
年を重ねるごとに、悩みは、若かった頃よりどんどん深刻に、そしていよいよ解決しにくいものになるけど、その分、だんだん、食い意地がはって、ちょっとやそっとのことでは死ねなくなるんです。
そこまでは、なんとかうまくごまかしながらでも、生きてほしい。
どうしたらいいんでしょう。知らないうちに、死ななくていい人がひっそり死ぬのを、どうやったら止められるだろう。最近、そのことをずっと考えています。

死にたくなったら、死にたいよぅー!って、誰かに言ってほしい。死にたいー!もう無理だー!って、取り乱しても、喚き散らしても、何でもいいから、言ってほしい。悩みがあったら、教えてほしい。聞いても何もできないかもしれないけど、辛い気持ちでいるのを知らないでいるなんて、気づけないでいるなんて、絶対に嫌だ。
そう思っているおじさんおばさんは、きっと周りにいっぱいいます。

死んだらあかん。
ごはんを食べよう。