四綱領
テニスが面白すぎて仕事に行きたくありません笑
(全豪オープンの話です)
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「京都市立芸術大学クラリネット科 発表演奏会」、おかげさまで前回のブログをご覧になってくださった方々からお申込みをいただき始めております。お忙しい中、ご予定に加えていただき、本当に感謝しております。皆で喜んでいます。ありがとうございます。
なんと、全部で60席程度の会場なんです焦、生徒ひとりに1枚ずつ招待券を持たせますので、実質先着50名様限定のような会です…次回は、もうちょっと早く企画して、もうちょっと大きいところで冒険できたらと思っています。その前に、そのために、まずは、第1回を成功させねば。がんばりますね。どうかお見守りいただけましたら嬉しいです。ありがとうございます…!
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この年末年始で、合計3つの、出身高校関係の集いがありました。
ひとつは、自分の学年の、クラスも部活も垣根なしの、SNSで呼びかけてもらって集まった混ぜこぜ会(初めましてな人もいました笑)。ふたつ目は、吹奏楽部の、最終的には前後5学年にわたった大新年会(当時の顧問の先生ご登場)。そして、先週に集まったのは、1年生の時の1年8組クラス会(当時の担任の先生ご登場)。いちどに3つも重なるのはさすがに久しぶりですが、それでも、高校時代の仲間とは、今だに割と集まっています。
私の出身高校は、単なる公立の普通科ですが、制服もなければ(標準服という名の制服的なモノはありました。入学式とか、卒業式とか、冠婚葬祭の時とか、高校生らしいカッコをした方がいい時に便利でした、な程度で、着る着ないは多分自由でした)校則も全くなかった、と言うと、さて、信じていただけるでしょうか。
あったのは、四綱領(しこうりょう)と呼ばれる、
【質素・剛健・自重・自治】
という、合言葉のようなモノだけでした(いまWikipediaで確認したら、一応[校訓]の欄に入ってました)。
あとは、定時制高校と校舎を共有していたので、部活は17時には終わって17時半頃には下校しておいてくれ、程度の約束が、あったといえばありました。
大人になってふと思い返したとき、
「いやー、高校に校則がないなんて!オレらが知らんかっただけでホンマは生徒手帳とかに書いてあったんじゃない?」
と、少し前に仲間うちでお茶したときにそんな話になっていたので、今回のクラス会の折に先生に確認しましたが、いや、校則なんて全くなかった、とのことで正解でした。
高校生の私たちを直接縛るものは何も無かった代わりに、
『それ(その行い)は、人として恥ずかしくないのか』
この一点が、自らを律する判断基準となっていました。何を着るかも、髪の色も、ピアスも、バイトも、授業態度も、もちろん(たぶん。←そもそも未確認)。
入学した日から、私たちはひとりの大人として扱われ尊重されました。一応、入学時の偏差値としては校区の中では1番上で、だから進学校か進学校じゃないかの二択であれば進学校だったと思いますが、勉強しろと言われたことは一度もありません。授業をサボって須磨の海岸に行っても、音楽室で練習していても、誰にも何にも言われませんでした。自分の時間を自分の責任において自由に使うことを、許されていました。(もうすぐ単位が足りなくなるから気をつけてね、というくらいは教えてもらえました)
その時は、特に何も思っていませんでしたが、大人になった今、冷静に考えてみると、これは本当に凄いことだと唸らざるをえません。何にかというと、先生たちにです。先生たちにとっては、校則があるほうが、校則をタテに生徒を動かすほうが遥かに簡単なはずです。校則がないということは、先生は先生自身の人間性によってのみ、高校生と向き合わなければならない…それがどれほどのことか、今なら分かる気がします。
そういえば、春に新しくヨソの学校から着任された先生方は、いつも目を白黒させて、面食らってらしたように見えました笑。普通の進学校は、もっと先生方が勉強させて、校則の厳しい学校は、生徒を監視して、もっと先生方が忙しいのでしょう。でも、ウチの学校では、することがなかった笑。ただの大人として、いわば完全丸腰で、今まさに大人にならんとしている若者の前に立つことは、いやぁ、それは本当に凄いことであったはずです。
おかげで、生徒たちは皆思い思いに高校生活を謳歌し、部活に熱中し、そのせいで四年制高校と揶揄されながら笑、東大京大に行った人が学年に何人いたかなんて誰も数えていないような、本人たちは誰も進学校と思っていないような学校でしたが、だから、いま、大人になって集合すると、何とも面白い人たちが、ざくざくと集まるのです。大企業でバリバリ働く男女がたくさんいることはもちろんのこと、研究者や、起業家、地域を動かすような活動をしている人たち、大学や高校で教鞭をとる人もたくさん。子育て真っ最中のお母さん達さえ、ただのお母さんでは全然とどまっていません笑。いえ、どこで何をしているかなんて関係ないですね、とにかく、会って話せば魅力的で面白い人ばかり。
私たちは、まだまだ頭の柔らかい十代の後半に、人に決められた善悪の基準、その枠の中で飼い慣らされたのではなく、どこまでがセーフでどこからがアウトか、その境目を何度も自分で見て感じて、時には越えてみて、さて自分はどうするべきか、どうしたいかを考える訓練を、大人になる前に存分にさせてもらったのだと、その価値の大きさを、今さらながらに深く感じています。先生ありがとう!!
…みたいなことを、未婚組の我々に対して結婚しろ結婚しろとうるさく言う元担任の顔を眺めながら、思っていました。あの頃の先生と、私たちは、今、同い年になりました。
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高校2年生だった24年前の今日、私たちは神戸で、阪神淡路大震災を経験しました。高校生だった私が見た震災は自分の心の中にあるけれど、もし、今この年齢で教員として被災していたら。…先生たちあの時どんなだったんだろう。ご自身の家族の安全を守りながら、生徒の安否を確認しながら、生活も交通も一切が破綻した激震地のど真ん中で、大規模避難所となった職場(学校)に通い、…消毒剤の匂いのたちこめる校舎の中で避難住民の方々のサポートに走り回っていた先生たちの姿を、私はちょっと見ただけでしたが、その全部は、いったいどれほどのことだっただろうと思います。
四半世紀近く経って、今ようやく、そんなことを考え始めました。
オケのリハーサルしか仕事がない日というのが久しぶりで(つまり、夕方学校に飛んで行かなくてもいいし、誰もウチにレッスンに来ないし、他の合わせもない)、あらやだ、なんて時間があるんでしょう♡、と喜んで、久しぶりに鴨川を歩きました。
アオサギ君ですか、違いますか、と話しかけながら、近づくのはこれくらいが限界。
(長くなりましたが追伸)
定期リハーサル、始まっています。展覧会、色々いつもと違う音やテンポや音量や間合いがあって、まだまだ不慣れですが頑張ります。クリスマス休暇明けでも寸分狂わず完璧かつ輝かしいハラルドのトランペットに脱帽。そして、今回「古城」のソロのSaxさん(お名前聞きそびれました)が、どうやら大阪音大を今春卒業するルーキー君らしいのですが、ほんっっっとに素晴らしいです。彼を聴きに来るだけでも価値があると思います。あんなに発音も音程もテンポ感も完璧で、さらっと、するっと、あんなに小さな音量で吹かされて笑、あそこしか吹くとこないんだからチョット爪痕のひとつも残して帰りたいだろうに笑、それでも本当に何もかもが完璧で、あんな小さな音量でほとんど何もしてないようでいて物凄いセンスも感じられるし、最後のビブラートのひと震えとその後の一瞬のまっすぐな響きとその先の余韻までがスーパー完璧です。どうしよう。イケメンだし。あらやだ。
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