自宅待機de夏休み

電話がとても苦手です。

台風で思わぬ夏休みな一日、to doリストの中でもついつい後回しになりがちな電話関係の用を朝から一気にドドンと済ませ(やればできる!)、スッキリうっとり。

学校がない時期だけは自分のために使える時間が多少うまれるので、夏休みは断捨離と、年末大掃除夏の陣みたいなアレと、それから病院通いでもろもろのメンテナンス。今月に入ってからは、朝から晩まで何やかんやでフル回転です。すき間で練習しながらto doリストは次々書き足されどんどん消えてゆき、うーん!生きてるかんじ、します◎。目が回らないようにします。


日曜日には、闘うピアニスト・赤松林太郎さんとの共演がありました。

THE HILTON PLAZA EAST アトリウムコンサート。ショパン、シューマンと華麗なる赤松さんのソロステージに続いて、夕方の2ndステージにて、ノーベルト・ブルグミュラーのDuoと、シューマンの幻想小曲集を演奏させていただきました。

時間があるあると思ってのんびりみんなでお茶してたら、私のパニーニが待てど暮らせど来なくて舞台で音響確認が遂に出来なかったり(パニーニ美味しかったけど)、トークのタイミングを相談し忘れてて思わぬ感じになってしまったりとハプニングはままありましたが、名手赤松さんのピアニズムを背中いっぱいに浴びながら、とても幸せなひとときでした。

大阪のお客さまは久しぶりで、少々面食らいましたが楽しかったです。出るなり親父ギャグの先制パンチを受けたり、目の前で堂々と延々とカメラを向けられ続けるなんてことも、京都では多分ないですね。まだまだ根性が座りきってないことを実感した、夏の大阪の夕でした。

赤松さんとは、高校の同窓です。と言っても、重なってなかったそうです(私の記憶はいつも曖昧。今回確認しました)。学年は私のほうが一級上で、転勤族のおうちだった彼は高校三年生で神戸に引っ越してきたそうです。だからつまり、震災直後の混乱の中、間借り校舎や仮設校舎や本校復帰など土埃(とハト糞!)にまみれたまま私たちの学年が巣立った後に、あの天才青年が入ってきたことになります。卒業後も折に触れて天才青年の話は山口先生(私にとっては数学の先生であり、赤松さんにとっては弦楽部の先生)から聞いていたので、すっかり寺池町(県立兵庫高等学校の所在地)で同じ空気を吸っていた気になっていましたが、違った!…お互い大学生になったある年、弦楽部OBと吹奏楽部OBの合同演奏会か何かで、世界へ羽ばたく直前の赤松さんと、東京でオーケストラの難しさ怖さを知ったばかりの子鹿な私は共演させてもらったのです。モーツァルトの23番。あの時の衝撃は今も忘れません。神に祝福された音、人というのがあるんだ、こんな気合いと根性だけでスポ根みたいなのは音楽家とは言えないんだ、と、泥のような自分を恥ずかしく思ったのでした。でも、そんなことさえ一瞬忘れさせてくれるような、真珠の粒がキラキラキラと掌からこぼれ落ちるような、夢のような音でした。今でも忘れない。私のような泥がここまで来れた道の途中には、いくつかの重要な出会いや衝撃がありましたが、あの時彼の演奏に触れられたことは、そのうちの大きなひとつです。私は、尊敬をこめて赤松大先生とお呼びしています。彼は、からかって私を先輩先輩と呼びます。いやだわ〜。笑

恐れながら、記念写真。

(おばさん体型になる前にと大奮発して買った途端におばさん体型になってしまって長くお蔵入りしていたこのドレス笑、ようやく着られました涙。5月のリサイタルでは直前まで着ていて塩見くんから優しいNGが出たのでした笑。でもたぶんもう最初で最後かも!でもシルクは本当にシワになる!!困)

赤松さんはコレで体脂肪率18%くらいとのこと!あのお腹は知性と筋肉で出来てるんだな…震


終演後は、神戸の赤松邸にお邪魔して、素敵すぎる奥様による高級レストランのような手料理と、赤松シェフによる目の覚めるような三田牛のステーキをいただきました(三田屋さんの廣岡さんから直接届く噂のアレです)。なんと生肉の塊が似合う人…

コンサートとご自宅プチパーティーの写真は、赤松さんのFacebookページでご覧になれます。私のことも書いてくださって(いいふうに!)、先輩で良かった笑。気を使わせました〜笑


皆さま、よい夏をお過ごしください。

Naoko Kotaniguchi Official Blog

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