骨折記念日と法然院

16日で、骨折してから1ヶ月でした。
骨折骨折、と、人生初の骨折に変なテンションで過ごしていましたが、行く先々で同業仲間にこっぴどく叱られたり、指の負傷絡みのさまざまな逸話を聞いてすっかり青くなったりしながら、反省も深めています。

3週目、割と治ってきたつもりで撮ったCTで全く骨がくっついてなかった画像を見てから少し落ち込んでいましたが、そうは言っても日に日に良いです。指先の力が必要な作業がまだ苦手で、包丁を持つのとか、油っこいものの洗い物とか、できればまだあんまりしたくなくて、お箸で重たいものを持ち上げたりも嫌です。うどんはよく茹で、お蕎麦は細麺が吉です。字を一生懸命書くとかもまだ避けたい作業です。手紙が全然書けていません。手洗いの洗濯とかも、意外に人差し指に負荷がかかるのを避けきれないので、用心しながらです。歯磨きも、耳かきも、人差し指不在ではなかなか思うようにいきません。
穴を塞ぐのは指先ではないので、楽器を吹くのはまぁ殆ど大丈夫。ピアノじゃなくて良かったと心底思った1ヶ月でした。でも、人差し指っていうのは、右手全体のバランス、右手の他の指との関係という意味でも、やっぱり中心となる指だったんだなぁというのをじわじわ実感しています。時々、ふとした時に微妙に感覚が変で戸惑います。それから、ダフニスなんかをさらっていると、やっぱり、穴をまっすぐ真上から塞ぐだけじゃなくて、サイドキーも絡んでナナメから穴を塞ぎにいくような動きが多いからか、ちょっと辛めです。必死に練習しているとどうしても余計な力もかかっているのかなとも思います。でもまぁ、ぼちぼちです。

バセットホルンのコンサートがなかったら、たぶん私はあの日骨折していなかったけど、でも、あの日、骨折はしても指はなくならなかったから、コンサートに出られました。感謝感謝。そのことも、それから他の色々も含めて、やっぱり予定通りにコンサートが開けて、そして、その日に予定通りに聴きに来ていただけることが、決して『当たり前』ではないんだなぁ、と、たくさん感じながら迎えた5月14日でした。

例えば、バセットホルン3本とも、壊れずに当日を迎えられたこともです笑。これを当日喋りそびれたんですが、バセットホルンって、というか、大きい楽器って、割と壊れやすくて、壊れるというのは、どこかにぶつけたとか落っことしたとかそんなダイナミックなことでなくても、例えば気候…気温や湿度の変化で細かな部分の調整が微妙に狂うのは自然の素材を使っているどの楽器にも言えることですが、大きい楽器は、その、狂った時の振れ幅が大きいので、少しのことで簡単に音が出なくなるのが恐ろしいところです。それから、長い歴史の中であまり普及してこなかった楽器というのは、やっぱり色々不安定だから淘汰されたり使われなくなったりしてるんだろうなと思います。それに、例えば、今日、「バセットホルンが壊れた!(あるいは、何か分からないけど急に鳴りにくくなった!何故!どうして!)」となったとして、突然そこらへんの町の楽器屋さんに駆け込んだとしても、バセットホルンという楽器を実際にその目で見たことがあるリペアマンである確率はとても低いわけです…事情を話して、恐る恐るその手に預けたとして、

①治って戻ってくる確率
②治らずに終わる確率
③もっと鳴らなくなって戻ってくる確率

…当たり前ですが③の可能性が極めて高いわけです…それはあまりに怖いからと言って、急遽の選択を避けようにも、では他の誰かに借りてこられるかというと、『バセットホルンを持っている人』というのも、非常に限られているわけですね…
そんな危険と常に隣り合わせで、でも、だから、そう思って割と穏やかな気候を狙って開催しているのに、今年の5月は何やら突然暑くなったり、梅雨みたいな雨が降ったり、なかなかヒヤヒヤしました。吉田くんの楽器が、また、一瞬危機でしたが、何とか持ちこたえたようで、そんなこんなで、3人揃って、3本揃って!無事に当日を迎えられ、心配が杞憂に終わるほどたくさんのお客様にお越しいただけて、いろいろ感無量でした。ありがとうございました…!

今回は、前半のモーツァルトコーナーの中で、祐子さんと「12の二重奏曲」をできたのがとりわけ印象に残りました。2人しかいないのに、モーツァルトの音楽というのは本当に隅から隅まで必要十分で、美しい。
それから、コンサートの中でもお話ししましたが、2つあるいは3つの楽器(それも単音楽器)しかないコンサートの中では、音そのものはもちろんのこと、それと対峙する「静寂」の存在がより際立ってくるように思います。法然院さんに漂う静寂は、途中ウグイスが鳴いたり、ワンちゃんが吠えたりもするので、コンサートホールのような「完璧な無音」は得られませんが、大自然の中に鎮座する法然院さん独特の濃い静寂が本当に素晴らしくて、[だからバセットホルンのコンサートは法然院さんでしたいんだなぁ]と、改めて思いました。再び機会をくださった法然院・梶田様に心から感謝いたします。

…ほんとは、私が事前の準備でイッパイイッパイにならずに、もっと宣伝に力を入れて、お客さんをたくさんお呼びできたら、いつか本堂や、広いあちらのほうでいつか開催できたなら…と、それはこれからの夢にします。


5月の法然院と、6月のアスニーが、両方とも私の企画コンサートで、準備の時期が完全に重なってしまったので、3月下旬あたりからこの2つの事務作業各種でひっくり返りっぱなしでした…アスニーも、やっと当日プログラムの曲目解説を書き上げて、次々と押し寄せていた締め切りと戦うのも終わりが見えてきました。もうひとふんばり。