終戦

ピアノの、とある巨匠のリサイタルを聴いてきました。

楽しみにその日を迎え、不慣れながらホールの正面玄関から入り、自席を恐る恐る探して、知ってる人や知られている人が居ないとは限らない緊張感にややソワソワもし、コンサートが始まりました。

最初の曲の、最初の音が鳴った瞬間に、いかに自分が普段(何なら今日も、さっきまで)音や静寂をぞんざいに扱っているかと、怒涛の猛反省。
休憩で少し灯りが戻って、隣席の同業友人とまず話したのは、そのことでした笑。
…いえ、そりゃ、自分なりには一生懸命耳をそばだてて生きているつもりです。だけど、やっぱり、超一流の人の研ぎ澄まされた感覚というか美意識というのかは、もう本当に全然違う。ざつざつと毎日降りかかってくる仕事に追われたり、頭の中が日頃の雑事にぐるぐるしていたりすると、テレビを付けっ放しのリビングのような自分になってしまう。やっぱり、たまには思い出させてもらわないとダメだね、と、あぁ、素晴らしい夜だった、明日から頑張ろう、練習しよう、そうしよう、と、深くうなづき合って帰りました。


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もう数日経ってしまいましたが、第627回定期、ご来場くださいました皆様、ありがとうございました。


「8月の戦争レクイエム以来、僕ら何だか戦いっぱなしでしたもんね…。」

横笛の王子がトンカツを食べながらポツリと言いました。
そうだ、戦いっぱなしだったんだ。だからブラームスが沁みるんだ。戦争レクイエムとショスタコーヴィチ12番はそのものずばり気持ちがどっぷり戦時中だったし、それ以外の公演も、ずっと、有形無形の何かそれぞれと戦っていた(苦笑)。はぁ、やっと、我々は[人間の気持ち]が真ん中な音楽に戻ってきたねと、やっぱりブラームスは素晴らしいねと、楽しもうねぇ、と、なっていました。

色々すり減り気味な我々に、まるでテニスでもしているかのようにスポーティなブラームスを運んできてくださったメルクルさんはとても爽やかに映りました。
10年前、まだ我々が「京響は若返ったね」と言われるばかりだった頃であったなら、そのまんま爽やかにブラームスが吹きぬけていったのだろうと思います。だけど、今は、自分たちが思うブラームスもある。そのあたりの擦り合わせを重ねながらな、リハーサル、リハーサル、リハーサル、本番、本番、の、5日間でした。それは、そうか、そういえば成長と言えるのかもしれないな、と、いま書きながらふと思いました。
これから京響は、また次の世代への新陳代謝を、慎重に模索していく時期に入ります。1人で出来ることは限られていて、願ってうまくいくこともあればそうでないことも思いがけないこともあるけれど、頑張って良い形で次へ繋いでいきたい。どうぞこれからも、あたたかくお見守りいただけましたら幸いです。感謝いたします。


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全然関係ないけど家で字の練習をしています。
夏のコンクール審査で自分の走り書き文字の汚さに愕然として、念願の書道教室に通うか、通信のペン字を始めるか、いろいろ考えた末、ひとまず私は平仮名が破滅的に不安定なんだという結論もあって、ひとまずペン字の本と小学生用のノートを買ってきて、夜な夜な、書いています。
むず!!
いつかさらさらと書ける日がくるのであろうか。
でも、何事も反復練習。こつこつ。こつこつ。(いつまで続くやら)



樹木希林さんの生涯最後の出演作品が、ドイツ映画だということを今日知りました。きっと見よう。

そして、フィリップ・ビゴさんも亡くなって。
ビゴさん、日本に美味しいパンをありがとうございました。




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