お年玉大作戦
小学校3年生の甥と、小学校5年生の姪が2人、そして高校2年生の甥。両親へ渡す1つを除いて、子供向けには4つのお年玉を毎年用意します。
さて、誰にいくら包むか。色々考えたり、気忙しい年末にぐるぐる計算して間違ったりするのが嫌なので、ここ数年は
「まー誕生日やクリスマスに何かしてあげられてるわけじゃないしな」
と、全部ひっくるめて一年分だよと宣言して渡すことにして、年末ギリギリに銀行さんに新券を求めに行くのは、1万円札一種のみ、と決めていました。
でも、いろいろ思うことがあって、今年は、新しい作戦に挑戦してみることにしたんです。
年の瀬が押し迫る前に、某団体へ、甥・姪それぞれの名前で、お年玉予定額の半分を寄付しました。そして、お年玉袋に、それと同額のお年玉と、手紙に振込用紙の控えを貼り付けて入れて、渡すことにしました。
手紙には、こう書きました。
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《お年玉の方針変更について》
あけましておめでとう。
直子ねえちゃんは、お誕生日やクリスマスは一緒にお祝いできないことが多いので、その分を毎年お年玉でいっぺんにあげようと思って、これまでそうしていました。
だけど、今年は少し考えを変えました。
◯◯くんもお金がたくさんあったらいいと思うし、ほしいと思うけど、世界には、戦争や、災害や、いろいろなことでもっともっとつらい中にいる子どもたちがたくさんいます。その子たちを助けるために少しでも役立ててもらうように、◯◯くんの名前で、寄付をすることにしました。世界のこどもたちみんながしあわせになるように。◯◯くんの2024年も楽しくて素晴らしい1年になるように。願っています。
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構想から一年、迷うことは幾度も。12月に入ってから、実際に振り込みを行動に移すまでも、ずいぶん悩みました。こんなことしても、無駄なんじゃないか。バカなんじゃないか。普通にしたほうがいいんじゃないか。でも、エイッと決めて振り込んだら、あとは早かったです。
私は自分が子供を持てなかったので、子供らしい成長を近くで時折見せてくれる彼らに心から感謝しているし、多少のお金が惜しいわけでもない。だけど、上を見たらもちろんキリがないけど、普通に考えてじゅうぶんに不自由なく暮らせている彼らばかりの役に立ちたいわけではない。自分たちよりずっとしんどい立場にある人に、思いを致せる大人に成長してほしい。その気持ちは、間違ってないし、大丈夫。そう言い聞かせて、お正月に、いつもより大きいサイズのお年玉袋を渡すことに、成功しました。
いつも通り、彼らは中身をその場で確認することをしないので、その日はそのまま過ぎました。帰ってから、どうしたかなー、どう思ったかなー、と、しばらくはソワソワしていましたが、喉元過ぎれば、で、すぐ忘れてしまっていました。
ところがです。
数日経って、次に彼らと会った日。いつもは、何を渡しても、手紙を書いても何をしても、その場限りでケロッとしている彼らが、私に会うなり駆け寄ってきて、
「直子ねぇちゃん。お手紙ありがとう。直子ねぇちゃんが書いてたこと、すごくいいと思ったよ。嬉しかったよ。」
と、言ってくれたんです。
(あ、直子「ねぇちゃん」というのは、私が強いて呼ばせているのではありません。)
これは大変に嬉しい驚きでした。
年末に、私が想定したのとは違う状況になりましたが、子供たちなりに、元日早々からテレビで見聞きする情報や映像から、いっぱい感じて、考えているのだろうなぁと、想像に難くありませんでした。
年が明けてしばらくしたら、彼らの住所に、彼らの名前宛てで、寄付した団体から正式な領収書と、活動案内のような資料が届く予定で、それも楽しみにしていようと思います。
能登半島を襲った地震に続き、そこへ救援に向かうところだった海上保安庁の5名の尊い命が奪われた事故と、衝撃的なニュースが立て続けに起こって、気持ちが追いつかずにいます。
飛行機の事故は、これから原因究明がなされると思いますが、能登半島の惨状は、いま報道されているのは氷山の一角で、まだまだこれから実情が少しずつ見えてくると想像されます。寒い時期の震災は、自ずと29年前のことが思い出され、とても他人事とは思えません。感情が揺さぶられそうになるのを静かに保つ努力をして、自分にできることを考え、行動しようと思っています。
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