きびしいしごと

死んだほうがマシと思うほどの、なんとも生殺しのような、本番が終わるまでは全く生きた心地のしないソロ、というのが、いくつかあります。

「ローマの松」の第3曲、『ジャニコロの松』の有名なソロは、その1つです。
1人で練習していても別にまぁ難しいといったところです。だけど、皆が見守る中で、お客様のご期待も嫌というほど感じて、肝心の本番をキメきらないといけないとなると。リハーサルで全部上手くいっていても、本番1発だけ、無残なミスが起こるかもしれない。リハーサルで派手な失敗をしていようものなら、もう、本番は本当に生きた心地がしない…ピアノがキラキラと鳴り始めた時、「あぁ今すぐに舌噛んで死にたい」と思ったことは、一度や二度ではありません。
練習さえ積めば打率が確実に上がる種類のソロもありますが、狙った最弱音が出るか、狙ったレガートがかかるか、狙った跳躍のニュアンスが出せるか、思ったリードのコンディションが『その時』に得られるか…これは全く、最終的には神頼みでしかないわけです…。

でもとにかく終わって、やっと、自分の中でしばらく止まっていた時間が、また動き出したような安堵感の中にいます。ここ数日、お天気が安定していたことだけは、とても幸運でした。


厳しいソロに立ち向かう時は、全くこの世でたった1人ぽっちみたいな気持ちになります。誰も助けてくれないし、助けてもらいようもないからです。まったくミゼラブルな気持ちです。だけど、第2曲の美しいトランペットソロ(あれも相当緊張するようです、おまけに今回はオモテで吹くことになっていました、あれが尚更キツいそうでした)を今回担当していた西馬くんと舞台裏で会えたので、励まし合って、何とか頑張れました。
それから、昨日は、私が入団してまだ間もないころ、プラハ響と合同演奏した時に私がいきなり『松』のトップを吹かされ(!吹かせていただい)た時のことを覚えていてくださって
「あの時、アナタまだ入りたてなのに、大きいオッチャン達に囲まれて(プラハのオッチャン達、皆さんとてもとても大きい方々でした…)あんな厳しいソロを完璧に吹ききって、あの時、ほんとになんて子が入ってきたんだ!と感激したのよぅ〜今回も素晴らしいゎ〜楽しみにしてる〜」
と、本番前に話してくださった先輩がありました。
私自身にとって多分初の『松』だった上に慣れない交流試合で緊張しすぎてあんまり覚えてないのとすっかり忘れてたのとで「そんなこともあったっけ〜」と懐かしく記憶を手繰り寄せるばかりでしたが、あぁ、あの時そんな風に思って応援してくださってたんだなというのが今さらでも嬉しくて、あぁ、今日も頑張ろうと思えました。救いの女神、感謝で一杯です。
でも。若い頃ってそういう勢いというか、イチかバチかで一心不乱に吹ききるエネルギーとか、それが吉と出る幸運とか、そういうのを、持ってたよなぁ…と、ちょっと遠い目になりました。

経験を積むということは、もちろん色んな事が分かったり余裕が出てくることでもあるけど、大小さまざまな傷や極度の緊張など負の記憶や不安や心配も自分の内側に冷酷に積み重なってくるので、どんどん気持ちが弱ってくることでもあるんだなと、今、改めて気づきます。

あぁ。つらい。
つらくなってきた。笑




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どうやって打ち上がっても足りないような夜。お酒が飲めたらこんな日は浴びるほど飲むんでしょうけど、飲めないので、帰って洗濯祭をしながらイワシを煮ました。
明日から夏休み!