夢のにがみ

人生二度目の新聞寄稿(神戸新聞1/26夕刊)は、震災の町に置き忘れた私の後悔について書きました。

過去の災害を思い起こす時、それはそれは心が軋むような気持ちになるけれども、もう片方で今のコロナ禍の色々を思うと、目に見えない敵と戦うような今のほうが、考えれば考えるほど難しく、先が見えない苦しさがあるような気がしていました。
でも、神戸の1月が進むにつれて、新聞や報道でさまざまな思いに触れ、26年経ってもまだまだあの日からひとつも動けていない方々がたくさんいらっしゃる、その悲しみの深さを改めて思うことになりました。
いつのどの災害のほうがとか、いやコロナのほうがとか、悲しさや苦しさは比べられるものではない。当たり前だけど、そうだなと思いました。
神戸やその周辺であの日を生きた人たちが沢山読まれているに違いない神戸新聞に寄稿するのだから、神戸の1月に、私も逃げずに震災の記憶について書いてみようと思うに至りました。


書いてみて思ったのは、へんな話ですが、本当に書きたかったのはこんなことではなかったなぁ、ということでした。

目に見えないコロナに何もかもをへし折られている、今の若い人たちの心が、大丈夫だろうかということ。あともうすこし書いて良かったら、本当はそこを中心にして終わりたかった。

震災のさなかで若者だった私たちは、そりゃぁ、そこらじゅう全部崩れていたり、線路に家が一軒ごろんと転がり落ちているのを見たり、どこに行くにも交通が遮断されていたり、物理的に無理なことが沢山あったり、生きているのがやっとで、日常やさまざまな機会が失われることを納得せざるを得ない景色がそこらじゅうに広がっていたので、諦めること自体にストレスを感じることは殆どありませんでした。そして、やることは立ち上がることだけであり、生きていさえすれば、いくらでも人と会い、抱き合ってお互いの温もりを感じ、声をかけて励まし合い、手を取って助け合うことが出来ました。来月には、半年後には、来年には、もっと良い明日が来ると、少なくとも世の中全体としては確信することができました。そして実際そうでした。 今のようにSNSなんてものもありませんでしたから、余計な雑音に心が惑うこともありませんでした。

今このコロナ禍の難しさは、…すべてが、その逆。ここで改めて書き並べるに及ばないと思います。
なんかね。本当に。
言葉が見つからないんです。


もう一方で、書いてみて新たに気づいたことがありました。
私がもし、自分とは別の人間で、例えば見ず知らずのおばさんだったとしたら、あの頃の私を、そしてそのことを悔やみ続けてきた私を、
「あらまぁ、そんなことで悩まなくていいのよ。若い人は、余計なこと考えずに、夢に向かったらいいのよ。夢より大事なことは、あるとしたら、あなたが幸せに生きるってことだけよ。」
と、背中をワシワシこすってあげたい気持ちだなぁ、と思ったのです。

誰も、思いがけない災禍の中で、若い人たちに犠牲になってもらいたいと思わない。きっと。私の記事を見て、同じように思って、今しんどい思いをしている若い人たちの背中をワシワシこすりたい気持ちになってくれる人がいたらいいなと思って、原稿をボツにせずこのまま行ってみることにしました。

…それでも最後まで迷いに迷って、ご担当者のKさんには本当にギリギリまで何度もお手を煩わせてしまいました。私のゴニョゴニョを、いつも朗らかに受け止めてくださるKさんに、心からのお詫びと感謝をこんなところにコッソリ書きます。すみませんでした!次は出来るだけゴニョゴニョしないようにします。


私が愛用しているアームウォーマーを、イイネと言ってくれた同僚があって、そしたら、そのお母さんが色違いを編んで、プレゼントしてくださいました…2日後のことです…昭和のお母さんの女子力って、本当に凄い…


**追記**
地域外にお住まいで、読んでみたいと思ってくださる方に、バックナンバーのお取り寄せ、という方法があるようです。わざわざ買っていただくのを私がお勧めすることもしにくいのですが、一応お知らせまで…
コラム「随想」欄は毎週月〜金曜日の夕刊。今のところ、私の回は1/8、1/26です。ほかの方の回もとても興味深いです。