じぶんのこと
銀座・王子ホールでの『マックス・レーガー クラリネットソナタ全曲演奏会』を終え、帰ってきました。
なかなか気持ちがうまくまとまらず、何か書こうにも難しいまま居ました。
まず何よりも、悦子先生への感謝と、ご主人であり私の室内楽の恩師である岡崎耕治先生への感謝は、後から後から、まったく言葉にしようもないほどわき上がり続けています。
それから。
お忙しい中を見守りに来てくださった私のクラリネットの師匠であり悦子先生と同級あるいはその周辺のご友人でいらっしゃる巨匠の先生方たくさんと、高校・大学時代の同級生や学校を超えての友人たち、大学を出てからお仕事などや留学先でお世話になった方々やお友達、若い頃からずっと応援し続けてくださる方々、京都で教えて今東京で頑張っている元生徒たちやそのお友達、ファンだと言ってくださる若い学生さんなどなど、たくさんの方々に見守っていただきました。クラリネットを握りしめて毎日毎日ひとり練習室にこもっていた学生の頃は、あんなに
「私はひとりだ」
と思っていたのに、そうではなかった。あの頃の私に、言ってあげたいほどです。でも、できないから、今そんなふうに思って戦っている若い人たちに、代わりに伝えていきたいです。ひとりじゃないと。応援しているよと。
大学院を出て京都に来た春からずっとここで自分なりに勉強を続けてきて、自分のできること、できないこと、どうしてもやりたいこと、得たい音、技術、自分の気持ちに沿うこと、沿わないこと…それらを冷静に見て、えらんで、自分のうちに少しずつ積み上げて、18年。その途中には、自分が望まないほうへ売られそうになったり、もっとうまくやればもっと広く派手に活動できるんだろうけどなと思うことがあったり、大きな失敗をしたり、迷ったり、失礼をしてしまったりすることも沢山ありました。だけど、できないことはできないし、やりたくないことをやるのは好きではないし、苦手な人は苦手だし、それは相手にとっても同じだろうし、虚勢を張ることも、上手にこのギョーカイを泳いでいくことも、私には出来なくて、ただ身の丈に合った活動を、心の及ぶ範囲でやってきました。無理は、音楽のためだけに、うんとしました。
地方のオケに行って、下手になったね、とだけは言われたくないという思いも、強くあり続けました。25歳の未熟な私を受け入れてくれた京響の名誉のために、それだけは絶対にと思っていました。幸い、簡単に下手になれるような環境は京響にはありませんでした。皆ではありませんが、世界クラスのプレイヤーと、尊敬できる考え方や心を持つ人がほんの数人いてくれるだけで、自分のモチベーションを保つには足りました。そのことには、心から感謝しないといけないと思っています。誰にでも得られる環境ではないと知っています。
いつか、どんな形でか、若い頃を育ててくださった先生方に、大人になった自分の演奏を聴いていただけたら、と思ってはいましたが、まさかこんなに出来すぎた形でそれを迎えられるとは、夢にも思わなかったことでした。
レーガーは、私にとっては、オーケストラで学ばせてもらってきたことやさせてもらった経験、その中で磨かざるを得なかった技術の全てを注ぎこまなければ、とても太刀打ちできなかった大作でした。レーガーでなければ、私がこれまでどんな道を歩いてきて、どんなことを大切に思っていて、何を望み続けてきたかを表すことができなかった気がしています。決してそこまで考えて始めたことではなかったけれど、実際そうでした。レーガーが生きたのと同じ43歳を迎えるころに、引き寄せられるようにしてこの一年余りを没頭できたことにも、少なからぬ縁のようなものを感じています。
人生一度きり。こんな生き方になることを願っていたわけではないし、私が本当に得たかったものは遂に今世では得られなかった感じがしているけど、自分の努力次第で何とかなる範囲のことはやりきって、これもまた人生。悔いなしです。
40代半ばを迎え、たぶんここからは色んなことが下り坂になり、きっと体調にも大きな変化が起こってくるのだろうと思っています。それより前に、一区切りとして、成果を発表できたことに、大きな安堵と、幸運を感じています。
プログラムの裏面、今回協賛してくださったヤマハさんの広告。
もう早10年以上、開発から関わらせていただいて、ようやく最終形にこぎつけたのが今使っている楽器(CSGⅢ)で、その時に作ってくださったこのキャッチコピーを、最高に気に入っています。
「譲れない表現のために」。
この言葉を背負って、ひと晩吹けたことを嬉しく思っています。伝わっているといいなぁ。
自分のことばかり書いてすみません。
でも、ここは自分のブログだから、いいかなぁと思っています。
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