思いやりの塊

布団から出るなりエアコンのリモコンに飛びつかなくても良くなった朝。電車で、車窓からの日差しがまぶしくて席移動。世の中はすっかり春の気配。いつの間にこんな明るい太陽になったのか、あぁそうか、びわ湖が終わったら春なんだ、と冬眠から覚めた蛙のような気持ちです(…と、書いた途端、冬日の続く数日。笑)。
逃げる2月が逃げたあと、3月も驚きのスピードで既に一週間が去りました…春休みが終わってしまう…学校がまたはじまる…。

****お詫び****
5/27バロックザールでのデュオリサイタルについて、チケットぴあにお預けしているチケットが先日一旦売り切れになったようです。すぐ追加の手続きをお願いし、購入できる状態に戻っていると思いますが、一時的にご迷惑をおかけした方がいらしたら申し訳ありませんでした。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
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相変わらずRheingoldの様々なフレーズが、頭の中を隙あらば流れています。

びわ湖リング序夜は、皆さんにとても喜んでいただいて、大成功の船出をできたようですね。おめでとうございます。SNS上に流れてくるお客様の感想をいくつか読ませていただいて、あぁ本当に良かったと安堵しています。京都市交響楽団の演奏について触れてくださる方も多く、何よりの励みになりました。

ピットの中にいると、特に中央から遠く離れた最果ての地にいると、左岸と右岸とでも、それから舞台の上とコチラ地底とでも、結構な時差があるので、聴いて合わせるのは不可能です(そもそも聴こえないときも多いし)。だから、「今のは合っていたのか?」「大丈夫だったのか?」正解を知らないまま私たちは終わっていきます…それは結構さみしいことで笑、だからいつも、ピットにいるときは自信がなくて、うまくいったとしても実感が持てなくて、気もそぞろ。頼りにできるのは唯一指揮者ですが、指揮に合わせるといっても歌が指揮に合っている時ばかりでないし指揮が歌に合っている時ばかりでないし笑、指揮者の打点の見方や感じ方も人それぞれで、だから。結局は、「私はココだと思うけどアチラではこうなっているのではと思う!」「たぶんあの人はこう歌いたいんではないかと思う!」「自分たちの音が向こうでこう聞こえてるからこうなるのかもしれない…ということは、次はこのパターンはどうだろう!」…確固たる自分の考え(が無いと、結局誰に合うことも合わないこともできないと最近思ってきました)と、相手がどう思っているか、相手にどう聴こえているか、いまどうなっているかを想像する力、それから、相手を信じる気持ちをピットに入った全員で持ち寄ったときに、ようやく音楽は破綻なく動き出すのだと感じています。だから、リハーサルは、決めたことを決めたように出来るようにする練習じゃなくて、様々な音が飛び交う環境の中でいかに情報を整理するかということ、慣れること、試行錯誤、どこが危ないかを知ること、失敗を積み重ねて可能性を探ること、励まし合うこと笑。時には休憩時間に向こう岸へお邪魔して「もうなんか全然聴こえないけどとにかく指揮者の前で会いましょう(音が)ってことにしましょう!」と意志確認だけして戻ってくることもあります。また、どんなに様々な状況を想定し尽くして本番に挑んでも、本番1発にアドレナリンの出た歌い手さんに一瞬


「ーーーー!!?!?!?????!!!!!!!」

となることも普通にあります(言葉にするとしたら「ーーーー!!わぉ!まじで?!まじか!まじらしい!どうする!え、どうすんの?どうするもこうするもないよね!よし!わかった!んぉぉぉぉぉぉぉーーーーー!!!」ぐらいです。これを、喋らずに、一瞬で、音だしながら、ぐぁぁぁぁぁ!!!っと皆で感じ合って軌道修正するのです、出来ないときもありますが全力で善処します笑)。ものすごいスリルとサスペンスですが、それがライブ!面白いのです。


…話が逸れました。何の話でしたっけ、そう、自分の考えをきちんと持つことと、想像力、相手を信じる気持ち。これです。
音程ひとつとっても同じ。「音程が悪い」と一言で言っても、音程って、正しいか正しくないかではなくって、相手と合ったかどうか。自分ひとり正しくても、相手が違うとこに行ったら合わないわけだし、すべて、相手あってのことなんです。自分の出す全ての音についてかなり正確にコントロールする責任を持つことはもちろん最低限のことで、「いま何の和音で、自分は第何音だから高め(低め、ちょっと高め、ちょっと低め、すごく高め、すごく低め、ちょっと明るめ、ちょっと暗めなどなど)に取ったほうが良くて」という全体の中での自分の立ち位置を理解した上で、相手が何の楽器か、どの音域か、どうなりやすいか想像して、全体のハーモニーから逸脱してしまわない程度に寄り添う。隣に下げきれない人がいたら、一緒に高めにいる。上げきれないで困ってる人がいたら、ともに笑って低めにとどまる。音程を低めに譲って、音色を明るく保てば、だいたい切り抜けられます。第5音を上げきれない人が左にいて第3音を下げきれない人が右にいたらもう困るしかないのですが笑、それでも笑って自分の音をにじませる。音程は、平和維持活動ですから。自分が正しいか、相手が正しいか、どっちに合わせるべきか、そんなことは無意味。助け合いです。むしろ、どっちが困ってるかのほうが大事。困ってる人を、それほど困ってない人が手を差し伸べる。困ってるときは、ごめん困ってる助けてと言う。それで、全体が丸く収まる。私もいっぱい助けてもらいます。だから、自分に余裕があるときは、喜んで黙って笑って助けます。柔軟なコントロール能力と、幅広い音色感を豊かに備えられれば備えられるほど、助けられる仲間と機会は多くなります。「あの人がいたらオケの音が変わる」ということがあるとしたら、輝かしいソロワークよりもむしろそんなことだと思います。音程は、高さ低さだけでなくて音色も音量のバランスも音域の関係性も複雑に絡むので、本当に難しい時があります。それでも、相手を思う気持ちと、全体の設計図と、自分がどうすべきかが分かっていれば、大丈夫。もっといえば、音が合うことより、心が合ってるほうがずっと大事。みんなで出す「いい音」って、思いやりの塊だと思うんです。オーケストラで、美しいハーモニーがひとつ、当たり前のように響き渡ったときは、そんなことがオーケストラの中で起こっています。相手を許して、受け入れて、受け入れてもらって、みんなで寄り添う。時には主張もする。すごいオケマンほど、そんなことを黙って笑ってやっています。


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今週は、神戸市室内合奏団さんへの客演で神戸に通っています。
正団員さんは弦楽器だけ、という団体なので、管打楽器は皆エキストラ。クラリネットの2番は私が探して良かったので、今回は京都芸大を卒業して東京の大学院へ武者修行に行った「とっしゃん」に、私の隣をお願いしました。
私自身は埋もれた学生だったので、エキストラに呼んでいただけるようになったのも遅く、若い時期にそれほど色んなオケで色んな人の隣で沢山の経験を積むことはできませんでした。沢山じゃなかったけど、いいオーケストラで、違ったタイプのオーケストラで、色んなタイプの素晴らしい先輩方の隣で、忘れ難い経験をさせていただいた、そのことが今の自分の根っこにあると感じています。すごい人ほど、いつも笑ってた。隣で吹かせてもらって、自分がどこにいたらいいか、音程も、タイミングも、全部わかった(わかったからと言って出来るわけではない笑)。私も、10年後、とっしゃんの根っこの片隅で笑ってる1人になれたらなぁ。
今日は松方ホールで本番、明後日に東京公演です。
何か今回は慌ただしくて神戸を満喫できてないけど、せめて、にしむら珈琲。カフェオレと、リンツァートルテ(ってこんなんだっけなぁ笑)

Naoko Kotaniguchi Official Blog

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