東京公演ありがとうございました

サントリーホールでの東京公演を終えて、帰ってきました。
(毎度のことながら演奏のことしか頭になくて、写真を1枚も撮らずに帰ってきました…)


すっかり更新が慎重になってしまったこのブログですが、いつもながら本番が終わった後のタイミングで閲覧数が驚くほど増えて、私が何を書くか楽しみに覗きに来てくださる方がこんなに、と(何人かの方が何100回か覗いてくださってるのかもしれませんが^^;)思う気持ちと、それとやっぱり、あんなに沢山のお客様に迎えていただいたのが久しぶりで、あんなに熱狂的な拍手をいただけたことが一晩明けても鮮明に頭と目と耳から離れず、感謝があふれるので、今のうちにお礼を書いておきたいと思いました。
京都から応援に駆けつけてくださったお客様もいてくださいました、本当にありがとうございました。

広上さんと、13年間。だそうです。
広上さんが折にふれて私たち京都市交響楽団とのことをメディアに話してくださる内容は、不思議なことに最初の頃から今日に至るまであまり変化がないのですが、私たちが思う広上さんと京響との関係はもちろんのこと、私たちがオーケストラの中から見る景色は、それは、聞いていただけるチャンスがあったなら本を1冊書けたほどに、折々に変化し、常にいろんなことを感じ続けてきました。

私たちは13年前、広上さんに、変わるきっかけを与えてもらい、オーケストラが劇的に変化していく数年を体験させてもらいました。その後も、私たちは広上さんに教わった謙虚さと柔軟な心をもって、広上さんとも広上さん以外のいろんな方々ともたくさんの素晴らしい時間や演奏体験を重ねる中で、確かな成長の手ごたえを感じながら、今日までやってきました。

「オーケストラは、上手くなるのはちょっとずつだけど、下手になるのはあっという間だから。あっという間に奈落の底だぞ、気をつけろ」
広上さんにいただいたこの言葉は強烈に私たちの中に残っていますが、ある程度の評価をいただくようになってからも、広上さんが心配してくださったような「慢心」は、我々の中にはいつも生まれなかったように思います。なぜなら、音楽の面白さ美しさは尽きることがなく、世界は広く、代わる代わる来てくださる指揮者やソリストの方々からも私たちは常に新しいインスピレーションを受け続けています。それに、音を出す者にとって、「評価されること」が、舞台の上で自分を守ってくれるものでは全くない、ということはとても大きいと思います。「評価」は次に「期待」となり、「上手くいって当たり前」という刃となって我々に向かってきます。単純に、技術を磨くことや維持するため毎日を精一杯に過ごすことしか自分を守る術がないのは、プレイヤーなら皆そうかもしれません。

大きな公演を控える度に、
「プレッシャーに感じすぎるな。」
ということも度々言っていただきましたが、それも、私たちにはそれほど、でした。公演の大小に関わらず、どこで演奏するかも関係なく、「いい演奏をしたい」という気持ちをいつも持ち続けられたことは私たちを守りました。「今日もいい演奏になった」「楽しかった」ひとつひとつの公演を終えるたびに私たちの中に積み重なる充足感は、「力を合わせれば次もきっと大丈夫」という確信になりました。どんな指揮者でも、どんな演目でも。音楽の素晴らしさは、いつもプレッシャーを超えました。

たしかに、評判が良くなれば、悪く書く人が減るんだな、なるほど、という経験もしました。でもそれは、ある意味で、良く書かれたり悪く書かれたりすることにはあまり説得力がないな、というのを学んだとも言えます。だからあんまり喜ぶこともありませんでした。私たちには、コンサートを聴いてくださる人たちが喜んでくださったら、それが全部。私たちは、いつでもどこでも全力。

もちろん、独特の「広上ワールド」が、全開どころか、年々増すばかりの広上さんに心身ともに鍛えられていることも、きっと大きいです。でも、何があっても、広上さんとその音楽を守ろうとする気持ちが1番強いオーケストラである自負もあります。気持ちがあれば拾えますから。どんなテンポも、間も、流れも、たいていのことは。舞台の上では、何があっても。出来るだけのことをする。それは、むかし広上さんに救いあげてもらった私たちからの、感謝のレシーブ。拾って、繋いで、打ち上げる!3月の京都でのファイナルまで、みんなで拾いきろうと思っています。


「BRAVO」嬉しかったです!
Naoko Kotaniguchi Official Blog

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