25歳のモーツァルト
雨がほんの少しだけ降るさまを、どんなふうに表現しますか?
しとしと、よりも少なく、ぽつぽつ、よりももっと小雨で、傘をさしたい人と平気な人に分かれるくらいの。
雨が[ぴりぴり]降る
って、私の生まれ育ったあたりでは言うんです。ぴりぴり、です。言いませんか?
今日、京都は朝から雨がしとしとと降っていて、夜に大学レッスンから帰る頃が、ちょうどそんな雨で、生徒とそんな話をしていたら
ぴりぴり、ですかぁ?
と笑われました笑。
ぴりぴり、です。ぴりぴりとしか言いようのない降りかたがあるじゃないですか。うーん、あまり賛同を得られなそうです。
でも、よかったら今度使ってみてください。そして、使いながら、私を思い出してください笑。
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年始に親戚で集まったとき、ちょうど犬が死んで間もない頃でもあったので、父が思い出の写真や動画をリビングのテレビに映しては涙しながら皆と見ていたんですが、よせばいいのに、酔った勢いで父が昔の、私が日本音楽コンクールで優勝した晩のNHKニュース(なんでこんなの録れたんだろう)と、その後放送された「本選会ドキュメント」番組を、流し始めました汗。
本人は、もう前世のことくらいに思っているし、コンクールで優勝したところで自分の評価は常に[今どう吹けるか]にしかないと分かっているので、振り返ることも思い出に浸ることも全くないし、むしろ忘れているくらいで、何を今更もう恥ずかしい、やめてよ父さん!…と、あと10歳若かったら声を上げてしまいそうなところでしたが笑、おかげさまでもういいトシで、父の気持ちもわかるし、まぁ正月から変な空気にすることもないと分かるので、黙って、姪っ子と遊びながら、時間の過ぎるのを待っていました。
あの番組のことは、あの後、今でさえもちらほらと、時々、各地にお邪魔した時に、観ました聴きましたと言っていただくことがあります。友達に借りて出た黄色いドレスや(お金なかったんだもん)、吹きながら客席に両親が見えて泣けたというエピソード(両親が座っていたのがあまりに前の方で、あぁ、本選に出るような子の親なら、どの辺が響きの良い席かぐらい、普通知ってるよね…教えてあげればよかった…と、情けなくなってきて泣けてきた、というのが本当のところだったのですが笑)も、我ながらテレビ的に悪くないなとは思いましたが、まぁ演奏は、いろいろ余裕がなくて、本当に、でもまぁ、あの頃の私なりの精一杯を吹いていました。。
「1位になったら大変だから、2位くらいにしといたら?」
…本選会の前にエキストラの仕事でお邪魔していた某オーケストラの首席クラリネットさんから、そう言われたことをふと思い出しました。その時は、順位も何も、とにかく権威あるコンクールのファイナリストとして恥ずかしくないモーツァルトを吹くことしか考えられず、軽い冗談と笑って聞き流すだけでしたが、今になって、あぁそういえば本当に大変だったな、と、改めてコンクール以後の自分を思いました。
私は本当は【日本音コン覇者】なんていう肩書きに見合う人間ではない、そのことは、誰に言われずとも自分が一番よく分かっていました。だから、優勝したその夜から、これまでずっと、その肩書きに相応しいとまでいかなくとも、恥ずかしくないプレイヤーにいつかならなければ、と、ずっと、思い続けてきました。ひとときたりとも、心が休まることは無かった。京響に入れてもらった時も、まだ何も吹けないのに入れてもらってしまった、期待に応えられるように頑張らなきゃ、と、思ってやってきました。オーディションで首席に上がった時も、これは「これから頑張れよ」ってことだな、と思いました。1年間留学させてもらった後も、勉強しに行かせてもらったんだから頑張らなきゃ、と、ずっと。思い返せば、私は、責任と、憧れだけを感じて生きてきたんだなぁ…と、今よりずっと華奢だった黄色いドレスの私を横目で見て、そして、涙が出てきました。
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あの時の私と同い年の生徒が、今週は京響でプロオケデビュー中です。明日でようやく10公演が終わります。立派に吹いてくれています。
なんとかプロとして活躍してくれたらと彼の幸運を心底願いつつ、でも、もうちょっと大らかに、幸せな人生を送ってほしいと思います。
(2/1追記)
下野先生が差し入れしてくださった大量の輝くカステラ、翌朝もまだあったので、撮ってみました笑。
カステラ大好き。福砂屋さん大好き。下野さん大好き♡
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