星野富弘さん

星野富弘さんがお亡くなりになったとニュースで知ったのは、春の日差しに夏が少し混じり始めた頃だった気がします。
そうか、星野富弘さん、亡くなったのか…生ききられたのだろうな、すごいな、亡くなったのか…と思いながら、改めて、私はいちばん苦しいときを星野富弘さんの詩に励まされ、支えてもらって生きてきたなぁと、今さらながら改めて、あぁ、と、思っていました。

星野富弘さん、ご存知ですか。いま若い人たちはもう知る機会すら得にくいかもしれません。ネットで検索したらすぐ出てきますが、一応書いてみます。

星野富弘さんは、中学校の体育教師として部活動指導中に、不慮の事故で頚椎を損傷、手足の不自由を失われたそうです。それから、口で筆をくわえて絵画や詩の創作活動を続けられ、素晴らしい作品をたくさん遺されました。

私は、中学生のとき担任をしていただいた恩師が体育の先生だったから余計に、ということもあるでしょうか、星野富弘さんという方がいらっしゃるということ、そしてその作品の数々を折にふれて教えていただきました。いま思い返せば、当時まだ20代だったその先生は、星野さんが事故に遭った頃と同じような年頃で、そして私が中学生だったのは、たぶん星野さんの作品が世の中に広く知れ渡ったちょうどその頃だったのかもしれないなぁとも想像しています。

思春期の、惑いがちで柔らかな心にもとても沁みましたが、星野さんの言葉や絵ややさしい眼差しが、もっと深く迫って、最後の砦のように私の心をぎりぎりのところで守ってくれたのは、もっと後、音楽の道へ進むと決めて、進んでみたらずっとずっと真っ暗闇だった、長いしばらくの中ででした。
机の上に、写真立てに入れてずっと飾ってあったのは、たしか「すいせん」という詩画でなかったかと、そうだあれは幾度の引越しを経て今も実家の勉強机にあったはず…と、実家に帰った時に見てみたら、全然ちがいました。笑。「日日草」でした。
京都に戻り、自室にある星野さんの詩画集2冊を、改めて開いてみました。どのページも、どの作品にも、ハッとさせられたり、ほっこりしたり、ふふふと笑いがこぼれたり、涙が滲んだり。この思いに至るのに、どれだけの苦しみや悲しみや諦めがあったのだろうと、想像してもしてもしきれないけれど、生きているって素晴らしい。生きているだけで素晴らしい。作品には、ただそのことが溢れています。私も、まだ、もうちょっと。きっと、なにか。そんな思いにさせてもらえるというか、やっぱりまた、星野さんのあたたかな手に、眼差しに、背中をしっかりと押してもらえたような気持ちになりました。

2冊目の終わりのほうのページに、挟んでありました。
「すいせん」の詩を、書き写して、ずっと部屋の壁に貼っていた紙片が。

ここで紹介できたらいいんですが、勝手に引用していいかよくわからないので、控えます。
興味を持っていただけたら、よかったら検索してみてください。代表的な作品は、いくつか出てくると思います。「ねこやなぎ」も、かわいくて好き。「ニセアカシア」も。

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