祖父母の家

フィギュアスケートを観ていて、選手とコーチが全国放送のカメラの前で堂々とハグする様子を見て、何かとても羨ましくなってしまいました。私たちは、舞台の上でもそれ以外でも、握手すらすっかりご無沙汰です。せめて堂々と握手できる平和な日が、早く戻るよう祈っています…人肌が恋しい〜



今年は、思いがけず仕事納めが早くて、年賀状を終えたあとは、第2の自宅であるところの実家の大掃除を毎日毎日、思う存分やりきりました。
「こんなことしてないで練習しなければ」という焦りのような気持ちさえなければ、いつまでだって掃除していられる性格なんだな、ということに、ちょっと気づいてしまいました。綺麗好きというのとは違います(整理整頓はひどく不得意な自覚があります)、家事大好きアピールをするつもりも毛頭ありません(たぶん練習しなくていいなら永遠に台所に立っているのもそんなに苦じゃない気がしますが、料理は味が決まらないタイプです)、ただ、黙々と掃除をするのが好きなのかもしれないということです。練習は、してもしても、した分だけ上手くなれることは少ないです。上手くなれた実感も、ほんの時々しかありません。だけど、掃除は、したところが確実に如実に綺麗になります。こんなスッキリとした結果の出方は、楽器の練習では得られないことです。最高。
それと、「練習しなければ」という強迫観念のようなものが、これまでの私にとっていかに強く、それに長く押しつぶされるように不器用に生きてきたかってことだな…と、掃除しながら一番思ったのはそのことです。もちろん今も練習したほうがいいし(そうです明日はもうちょっと練習しますしたいです)、アレなのですが、これまでと少し違うのは、たぶんステイホームの期間に良い意味で少し体質改善が起こって、うまく言えませんが気持ちの切り替えが少しだけスムーズにできるようになったからかもしれない…そうだといいな、と、思っています。(いや、単純にコロナ前より暇だからかもしれない笑)


祖父の7回忌を身内でささやかに済ませ、施設に暮らす祖母がコロナで出られない代わりに、今は住む人の居なくなった祖父母の家を掃除に出かけました。

子供の頃からよく遊びに来ていたその家(母方の祖父母宅)は、玄関の前から懐かしさが詰まっていて、元気だった祖父母の姿が染み付いています。
ごくごく昭和の庶民の小さな住まいですから、当時としてもまったく簡素な、今となってはすっかり古びた家ですが、祖父も祖母もとにかく綺麗好きと几帳面を絵に描いたような人で、祖父の定年後は2人揃って毎朝4時には起きて掃除機と雑巾とコロコロを手に家じゅうを掃除していたと近所でも評判でした。幼い頃から祖父母の家ではホコリ1つ見たことがなく、祖母が守り続けた台所では、盆暮れに親戚が集まった日でも、食事どきの最中であっても下げられた食器は直ちに洗われ拭き上げられ、ゴミは瞬く間に処理され、小さなシンクの中で生ゴミのかけら1つ見ることすら遂にありませんでした。黙ってただ動き続ける祖母の手はいつも憧れで、祖母の台所では誰もが働き者になりました。

そんな家でしたから、祖父が亡くなり、すっかり元気をなくしてしまった祖母を訪ねて行った何度目かに、初めてその家の片隅にフワリとホコリがあるのを見かけたとき、なんとも言えない淋しさとともに、
(あぁ、ついにこの時が来たのだな)
と思ったものでした。


今は、祖母も随分足腰が弱り、忘れることも多くなってしまいました。
だけど、少しずつ老いていく祖母の姿を近くで見させてもらうことは、いつか行く道がどんなかを教えてもらえるという点でも、学ぶことも気づくこともとても多く、これからも、可能な限り、彼女の側で過ごさせてもらう時間を多く持ちたいと思っています。
今回は、コロナのせいで祖母を家へ連れ出すことが叶わなかったのですが(それでも、身の回りを世話する最小限の家族の面会は今のところ許されていて、施設管理者の方々のご配慮やお気持ちやご覚悟には感謝し敬服するばかりです)、祖母が元気であったなら、祖父が生きていたなら、きっとしていただろうなと想像しながら、代わりに掃除させてもらう時間は、じんわりとてもハッピーでした。祖父のよく通る大きな声と、祖母が早足で歩くときの床の軋む音が聞こえるようでした。

…自分の祖父母のことについて、あるいは、それにまつわる父母の思いについて、少しずつながら色々考えを巡らすことができるようになったのは、大人になってから、ごく最近のことです。父は遅い子だったので、父方の祖父母は母方の祖父母よりひと世代上で、だから、父が自分の親を(私にとっての父方の祖父母を)介護したり見送ったりしていた頃は、私はまだあまりに子供で、あるいは大学で東京にいた頃とも重なって、ほとんど知らないまま過ぎてしまったなぁと、反省しても戻ってこないけどそのことをとても悔いています。
母の思いに寄り添って黙々と祖父母の家を一緒に掃除してくれている父の姿を見るにつけ、父にはこれから返していかなければならないことがたくさんあると、改めて思った2020年の暮れでした。
祖父母の家の玄関。
昔はよくこんな感じで賑やかに集まっていました。
Naoko Kotaniguchi Official Blog

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