チェコのぬくもり

ウィーンにいた頃、チェコフィルを聴きたいと思い立って夜行列車でプラハに行ったことがありました。

iPodをエンドレスリピート再生にしてマーラーの1番を聴きながらウィーンを出発して、あっという間に寝入ってしまい(あの頃はまだ若かった…遠い目)、結構眠った後ふと目覚めたらヴィシェフラド(スメタナ『わが祖国』の第1曲)が始まったところで、そこはもう国境を越えてチェコに入っていて、カーテンを開けると窓の外にはお月さまが…という出来すぎたシチュエーションに「おぉぉぉ…」と、ゾワゾワっと感動したのをとても覚えています。


第606回定期、たくさんのお客様にご来場いただき、ありがとうございました。

楽しすぎて、嬉しすぎて、あったかすぎた4日間が終わってしまいました。エリシュカさんと、エリシュカさんの音楽とご一緒できた時間は夢のように過ぎてしまいました。

kindとか、friendlyとか、そんな言葉では全然足りないような、いえ、私の英語は義務教育の英語でほぼ止まってるのでちょっと分からないのですが、ドイツ語でいうところのnett、sehr nett、sehr sehr nett!!…まさにnettな人でした。そして、何より、お元気!!!!!暗譜で振られるのと、(変奏曲の時、楽譜を)めくりそびれそうになりながらもめくりそびれずに(めくる前のベロンチョもなし!たぶん)テキパキとめくり進んでいかれるのとどっちに驚いたらいいのかもう分からないというか笑、そもそも2時間立ちっぱなしで何の問題もなくいらっしゃるし、耳もシッカリ、目もバッチリ、声もすーごく大きい立派なお声を出されるし、リハーサルは毎日みっちり16時まで、棒もハッキリしすぎるくらいハッキリ(時々ハッキリすぎて戸惑うことも笑)で、とても85歳とは思えないなんて言葉じゃ全然足りないというか、とにかくすべてがレジェンドでした…

やっぱり音楽って、演奏って、人だなぁ。たくさんの素晴らしいマエストロに接して、もう何度も思ってきたことですが、今回もそれに尽きる経験でした。マエストロの温かいお人柄と情熱とあふれる音楽が乗り移って、私たち一人ひとりが「このマエストロの思い描く音に近づきたい!」と心から思い願ったときに、オーケストラって無限に変化していくんだなぁと、いい仕事に就けて良かったなぁぁぁぁ〜…と、心底思う数日でした。

あんまり別れ難かったので、終演後、チェコ語を話せる江刺さん(コントラバス)にくっついてマエストロの楽屋にお邪魔しました。私の顔を見るなり駆け寄ってくださって、「クラリネット!ブラーヴァ!!!」と、むかし久しぶりにおじいちゃんに会ったときにされたのと同じようにコネコネコネコネと抱きしめてくださった後、「オーケストラでソロを担当する人はね、指揮者の音楽とか要求とかを受け取りながら、さらに遥かその上をいく自由を勝ち取らなければならないよね。君はそれが出来ていたし、これからももっとそれを楽しめる人だ。」と身にあまるお言葉をいただき(もちろん通訳していただきました焦。チェコ語ほんとに皆目ちんぷんかんぷんな上に、時々ちょいちょい空耳アワー的に関係ない日本語っぽいのが聞こえてきて本当に…笑)、そして身にあまるbig hugを頂戴しました笑。


リハーサルもずっと見守ってくださった素敵な奥様ともお話しでき(奥様は英語を話してくださいました)、マエストロが私たちとの時間を本当に喜んでくださっていること、私たちも心から嬉しかったこと、もうお別れするのが寂しくて仕方ないこと、またできるだけすぐに戻ってきていただきたいこと、マエストロは音楽のことで毎日頭がいっぱいだから音楽以外のことは全部奥様が担当されていること(笑)などをお聞きしたりお話ししたりしました。素敵な男性には素敵な奥様がいらっしゃるのだなぁとため息ばかり。お二人で並んで歩かれているご様子などは、こちらまで幸福感でいっぱいになるような景色でした。


幸せすぎて、いつも本番の後はちょっと甘いのが欲しくなったり、晩ご飯をまだ食べてないことにしたりしたくなるところを笑、今日は何だか幸せいっぱい胸いっぱいでお腹もいっぱい、帰りがけに買ったグレープフルーツジュースにすだちを絞ってテレビに向かって乾杯して終了。


*****

その、冒頭にすこし書いたプラハ弾丸旅のときに、現地でフルートを勉強しているというSちゃんと知り合いました。たった一回、何時間かしか一緒にいなかったけど、同い年で、音楽のことや留学生活のことや将来のことやプライベートなこと、いろいろいろいろ話して、それから「ドヴォルザーク」のチェコ語の本場の発音を教えてもらって、カタカナで書くと「ドヴォジャーク」に近いんだけどちょっと違うのを、何回も何回も発音練習に付き合ってもらっては全然できなくて笑いころげていました。帰りの夜行バス(ウィーン行き)まで送ってもらい、窓の外でSちゃんが人懐っこい笑顔でずっとずっと手を振ってくれていたことを鮮明に覚えています。

そのSちゃんが、突然の病気で一人暮らしの部屋で亡くなっていたと聞いたのは、ウィーンに戻ってから数ヶ月した朝のことでした。

ドヴォルザークを演奏するときはいつも、「ドヴォジャーク」の〝ジャー〟の時に可愛くクシャッとなるSちゃんの顔を思い出しながら、いつまでたっても上手く言えない「ドヴォジャーク」を3回くらい唱えます。Sちゃん、そっちはどうですか。





Naoko Kotaniguchi Official Blog

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