うつろな5月
香しいモクセイの花をテーブルに飾り
名残の赤いアスターをこちらへ運ぼう
そして再び愛を語ろう
かつての五月のように
僕に手を握らせて
密かにひいた君の手を
たとえ人に見られたとしも
そんなことはちっともかまわない
君の愛らしい眼差しを
もう一度だけ僕におくれよ
かつての五月のように
どのお墓にも良い香りの花々
今日は年に一度の
死者たちが自由になる日
僕の心に来てほしい
また君をこの胸に抱きしめたい
かつての五月のように
***
リヒャルト・シュトラウスの「万霊節」を、ここしばらく勉強していました。
途中までは、あやしいストーカーの話だったらどうしようと思いますが(思わないか笑)、万霊節とはキリスト教の「お盆」のような日のことだそうで、かつての五月がもう戻ってはこないことが最後に分かる…何とも何とも切なくて、楽譜を見ているだけで、音を聴いているだけで何回でも泣きそうになります(うそです泣きました何度も笑)。
言葉とか、音楽とか、人の気持ちを想像することとかに、いちいち、驚くほど気分を引っ張られがちな自分の性格には心底呆れ果てるのですが、そのせいで、すっかり、何ともさみしい、呆然とした五月の始まりに、今年はなってしまいました。どうしたらわからないくらい、一人でどどーんと落ち込んで、…再びの緊急事態宣言や、それとは全く辻褄の合わないいろんなことへの憤りに、も、あるかもしれませんが。
いや、レーガーを朝から晩まで毎日毎日一人でさらってたら、病むのも仕方ないゎ、そうだった、と、後になって気づきました(あんなに美しく解りやすいブラームスでも、誰とも喋らずに家に篭って3日も練習し続けたら、けっこうやばい感じになります笑、レーガーは、何もかもがブラームスの比ではないですから)。
ひたすら、ひとり家に居て、狙った発音の打率を上げるために、音程を確かにハーモニーの中に落とし込んでいくために、この音からこの音へどんなふうに移っていくかを考え決めていくために、地〜味〜〜〜な練習を延々としながら、苦しくて息が続かない長い長いフレーズを、何回も何回も吹いては諦めてブレスの位置を探す、ブレスの仕方を色々試す、諦めきれずに何回も考え直す、やっぱり続かない、そんなことはない、でもやっぱり無理、死にそう、…それを3曲。延々レーガー。合計12楽章。病むのも仕方ない笑。
でも、苦しい1人練習の日々をくぐり抜けて、再び悦子先生とのリハーサルにお邪魔すると、1人で悶々としていたことが全部嘘のように、あるいは1人悶々と練習を積んだおかげもあるかもしれませんが、レーガーの音楽の素晴らしさに没頭できました。改めて、ため息がでるほど美しく、精巧で、なんて良い曲なんだ…と、2人でホレボレしていました笑。今回ようやく分かってきたこともたくさんありました。やっぱり1人ではできることもわかることも限られてますネ、と、悦子先生と嬉しく音楽作りを深められた2日間になりました。
もはや、5/23はおろか、5/29もどうなるか分からなくなってきて、心を平らかに保つのにますます努力が必要ですが、どうなるとしても、今できることをするだけなので、音楽の中に投げ込んで、ひとまずあと数日を過ごそうと思います。
また、なにか決まったり、変更することになりましたらお知らせさせてください。
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昔の生徒(今は友だち)にずっと前にお土産でもらったフィンランドの紅茶。美味しかったから大事に最後の1つを取っておいたのを、鬱々とするステイホームの中でも何とか元気になりたくて、すがる思いでついに開封。
フレーバーティって、そこらじゅうに溢れていて、よくいただいたりもしますが、人工的な香りなのが殆どで、正直ちょっと苦手。でもさすがはフィンランド、天然香料の優しい香りとカドのない味で、ティーポットにいっぱい作って、一日かけてゆっくり飲みました。
同じものが手に入らないか、Amazonで見てみたけど、ムーミン柄の違う味のしか見つからなかった。ムーミンはええねん。
またいつか、コロナが収まったら、飛行機に乗って、ヘルシンキ空港でこの紅茶を探したいなぁ。
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