しみじみ振り返り
休みの日に、冷蔵庫の掃除をして、空き瓶の煮沸をしました。
いただいたものの、使い方がイマイチ分からなかった「これ1つあれば味が決まる!」系の目新しい調味料や、「ごはんの友」系も減りが遅く、柚子胡椒的な小粋食材も、ほんの耳かき2〜3すくい分を使うのがやっとで、だいたい例外なく冷蔵庫の奥に潜むことになります…調味料は、塩と胡椒と、砂糖と、酢と醤油と油とお酒でだいたい充分。なんならマヨネーズももう何年も買っていません。
空き瓶の煮沸は、排水口の掃除と並んで、休日の気分転換の代表選手。
甘酢生姜を漬けました。
満足満足。
***
リサイタルを走りきった安堵と疲れが和らぎはじめると、今度はその後ろから、冷静な反省が少しずつむくむくと湧き上がってきました。
当日の簡易な記録用の録音をいただけたので、それを聴きながら、思わず譜面を開いては気づいたことを書き込んで、あぁ、早く次の機会を探したい、次はもっとここをこうするのに!と、暇さえあれば考えています。だから、レーガーの譜面が、なかなか片付けられずにいます。
思えば、不思議な本番でした。
久しぶりの東京でのリサイタル、悦子先生との本番、客席には先生方たくさん…一体自分はどれほど緊張することになるんだろうかと、正直心配していました。
それが、もう当日の2週間前くらいからは疲れを取ることに専念するのと、リードが当日にアジャストするよう祈ることに集中し、前日も、当日も、極めて静かな気持ちで、淡々とすべきことをして、気がついたら着替えて舞台袖で悦子先生と談笑して、
「さぁ、行きましょうか」
と出ていって、そのまま。
緊張する、とも、どうしよう、とも、あぁこのリードで大丈夫なのかしらとも、1mmも思いませんでした。
京都の本番もでした。
それがすごく不思議だったんです、こんなこと初めてで…と、後日悦子先生にお話しすると、私も同じだわ、と仰っていました。でも、あるいは、悦子先生はそう仰ってくださったけど、一流の音楽家は、いつもそうやって舞台の上にいるのかもしれない。私は、悦子先生の流れに乗せていただいて、少しだけ、それを見せていただいたのかもしれない。
緊張している余裕がまったく無いほど、とてつもなく難しい作品だった、というのは、それでも確かにありました。それから、全ての音やフレーズに対して、私たちの中では完全にイメージがはっきりしていて、ただそれを2人で順々に紡いで実現していくだけだった、というのも、もうひとつの理由だと、そう思っています。
難しいというのは、技術的にもいろんな意味でそうなのですが、とにかくアンサンブルが、「聴いて合わせる」や「相手とその場で対話する」のでは全く間に合わないような精緻さで書かれてあるので、自分と相手が、全くひとつの流れに同化したようになって…まるで自分が相手の血流になったかのように、相手が自分の中に流れているかのように、最初の音から最後の音までを完全にひとつの流れとなることを求められているように感じました。もちろん絶妙にやりにくい細かなテンポの揺らぎなどなどがそこここに指定されている中でです。私は悦子先生の中に入り込んで、悦子先生は私の中に脈々と流れて、合計12の楽章それぞれを歌いきる必要がありました。
合わせがあまりに楽しくて、何度も何度も、それこそ学生時代でもこんなにはしなかったと思うほど、何度も何時間も合わせをしていただきました。回を重ねるごとに次第に難解な印象からは解放され、曲自体が望む自然な姿を楽譜の中に探す作業に没頭しました。また、その時々の会場の音響や環境、それからその時の心持ちによって、相応しいと感じるテンポや間合いが毎回少しずつ異なってくることも、とても興味深く味わい深い現象でした。だから、本番も、始まってみないとどのテンポになるか分からなかった笑。でも、息を吸って、最初の音、次の音、その次の音…なるほど、これね。と、流れが決まってくる。それは、冷静に考えるとものすごく恐ろしいことだけれど、そのために、全身全霊で、神経を研ぎ澄ませて、2時間。音楽の流れの中だけにいた2時間。この時だけはコロナも何も関係なく、それはそれは、幸せな時間でした。
悦子先生のこと、耕治先生のこと、書きたいことが山のようにありますが、私の心の中にとどめておきたい大切なことばかりです。
お2人にいただいた夢のようなギフトを、心にふくふく育てて、願う音楽家の姿に少しでも近づいていきたいです。
いつかのリハーサルの日、休憩時間。
悦子先生のお手製プリン!(わいわいしすぎてスプーンがおかしな方向むいてます)
極上の美味しさでした…
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