石神井ハイツの思い出
年賀状の整理もしなければと思うばかりでそのまんまなまま、先々の演奏会などなどへの準備に追われています。
年賀状、最近の若人は印刷するほど書かないらしいのが逆に功を奏するかたちで?、生徒たちから100%手書きのとっても個性が溢れていたりずっしり手の込んだオリジナリティ満載だったりの年賀状が届いて、とても面白かったし嬉しかったです。印刷に、ひとこと書くか書かないかみたいな味気ない大人のありきたりな年賀状は、もう廃れるに充分なんだなと思い知らされます。来年こそ、もっと早くから取りかかろう…と、たぶん無理なことを今年も呟いてみる笑。
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箱根駅伝、青学大が三連覇。凄かったですね。
全部で7年を過ごした東京での学生生活のうち、6年は大学の寮にいて、最後の7年目だけ、一人暮らしも社会勉強と思ってアパートを借りました。
都内、石神井(しゃくじい)公園のほど近く。駅徒歩10分、1K 3万5000円。言うまでもなく、楽器練習不可。お風呂共同で、トイレは部屋にあるけど便座に腰を下ろしたら自分の膝が邪魔でドアが閉まらない笑。隣に住む管理人の山田さんに捕まったら話が終わらないとか、盛大に雨漏りしたとか。エピソードに事欠かない安アパートは、階段の足音とうがいの音で、隣の部屋の男の子が「あ、帰ってきたな」というのが分かるほど簡素な造りでした。
その、うがいの主から、昨日急に連絡をもらって、京都で会いました。
当時、彼は早稲田の学生で、自身はサッカー青年でありつつ、サッカーやラグビー、野球など一流選手や監督などと幅広く交友があり、ひょんなことから話すようになって以降、生まれて初めてラグビーの試合に連れて行ってもらったり、いろんな有名選手のエピソードを聞かせてもらったり、石神井公園を延々喋りながらジョギングしたり、将来の夢を熱く語る彼の話を聞いたり、とにかく毎日が音楽しかなかった私にとっては全く刺激的な、広い別の世界への窓をちょっと開いて見せてくれたような人でした。
紆余曲折を経て今は徳間書店で敏腕編集者として活躍する彼は、相変わらず一流スポーツ選手との熱い交流の中でさまざまにいい仕事をしていて、数年に一度会える機会があるたびに、彼の手がけた本を携えて来てくれます。今回は、話題の本『世界で通じる子供の育て方』著者の浜田満さんの講演会が大阪であったとかで、青山学院大学の箱根駅伝凱旋パレードを見守ってすぐ新幹線に飛び乗っての関西入りだったようでした。
今回のお土産。
スポーツのことなので、私には分からないこともたくさんあるけど、熱血で、人間力があって、強い意志のある彼の仕事から生み出される本は、いつもエネルギーに満ちていて、全くありきたりでなく、半端じゃなく、確信に溢れていて、いい仕事してるなぁと心から思わされます。
あのアパートに住んだ学生生活最後の年は、秋に日本音コンで一位をいただいたあと周囲の色々がガラガラと変わる中で京響を受けたり突然仕事が増えたり修士論文を書いたり引っ越し準備に追われたりと、私にとってはあまりに激動の一年だったので、引っ越したばかりのうららかな春の日の窓辺の景色以降、翌年3/31の最終新幹線に飛び乗って安堵の溜息と寂しい涙がいっぺんに出たあの時までの記憶が、断片的にしか残っていないことが悔やまれます。…あの一年がもっと何事もないただの一年だったら(そしたら私は今たぶんここには居ないけど)、私は彼にもっと学びたいことがあったと、今でも思います。でも、あの頃は、私からなにか話せること、何もなかったなぁ。上手くなれなくて辛い、将来への不安、頭の中が練習のことでいっぱい。口を開けたら不安が溢れだしそうで、じっと黙って、ゆるく笑ってるしかなかった、我ながらかなしい青春だった。
青トレの本。DVD付きで良い感じ。
お正月太り改善に、役立てます。
苅部くん、ありがとう!!
仕事柄、友達の出したCDが増えるのは当然として、音楽家をやりながら、友達の出した「本」が増えていくのは、音楽修行がスロースタートだった私の、ささやかな自慢。歴史家、料理家、数学の先生、写真家、闘うピアニストの本もありました笑。みんないろんなところで活躍していて、嬉しくて、すごい。私は私の持ち場で、頑張ろう。
心頭を滅却して夢に突き進むことしか考えられなかった間に、いい男が何人も通り過ぎていったんだな〜ありゃりゃ〜、と、気づいても遅い、底冷えの冬。笑
帰って渡辺謙の録画を観た。
ゴルゴンゾーラと豆餅。
正月太りはまだまだ続く
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