真冬のシベリウス

『かもめ食堂』(映画)を見てヘルシンキの夏に憧れていたウィーンの冬。

「…いや、シベリウスの音を知るには、今、行くべきではないか!」

と急に思い立って、フィンランドの真冬を体感する弾丸旅に出かけたのは、もう10年も前のことです(いま関西フィルの首席ヴィオラをしている中島の悦っちゃんと)。

ヘルシンキに着くなり、シベリウスの家に行こう!と鼻息荒く電車に乗りました。森をぬけ、郊外の駅で降り、タクシーの運転手さんに
「アイノラに行きたい」
と伝えたら、変な顔をされたけどとりあえず走ってくれました。

「…ほら、あそこだけど?」
と、静まり返った一面銀世界のど真ん中に下ろされて「?」となって、腰まで積もった雪に溺れそうになりながらなんとか進んで、ようやくその「家」に辿り着いたら、夏場しかopenしてないと看板に書いてあるらしいのを見つけました。
がびーん!と大笑いして、雪にダイブ。聞こえるのは、私たちの笑い声と、雪の降り積もる音だけ。門扉の隙間からコッソリ侵入して記念撮影だけして帰ってきました。

シベリウスを真冬に演奏できるのは至福です。彼の最後の交響曲となる第7番は、あまり演奏の機会が多くないけれど、とびきり寒くて、厳しくて、本当に最高。冒頭のしばらくで行方不明になりそうなところは雪に溺れそうだったことを思い出すし(あかん)、寒すぎて頭痛がしたことも、町の人が皆とってもあったかかったことも、やたらにノッポな人が多かったことも、雪の白さも、空の暗さも、教会の荘厳さも、雲間の太陽も、森の深さも、あの短い旅で私の小さな心がいっぱいに感じたことが頭の中で鮮やかに思い出されて、わくわくします。厳しく寒々しい音の森の中から、太陽(トロンボーン)がぐわーんと現れたり、厳冬を耐える人が春を待ち到来を喜ぶ嬉しさってこんななのかと感じたりしながら、最後には森の氷の女王が現れてズコーンと許されるような。もうおとぎ話の国の音楽だから、どんどん想像をむくむくさせて、私はとても楽しんでいます。
クラリネットは、珍しく、菩薩的な立ち位置を今回はトロンボーンに譲って、結構厳しく切り込んでいきます。シベリウスのクラリネットって、ポーンと丸くて綺麗な音だけじゃなくて、しっかり摩擦を感じるような、暗い、時には軋むような、他の作曲家の時とは全く違う音を、ポケットの中から探していきたい。そうでありながら、フィンランディアの後半の木管楽器のコラールでは、柔らかく透きとおるような、温かい内声でぜんぶを包みこみたい。シベリウス、クラリネットソナタを書いてほしかったなぁと思う作曲家の1人です。

道義さんのリハーサルは、それはもう全力。
フィンランディアから、とんでもないことになりそうです(うまくいくかどうかは分かりません。なぜなら道義さんとのアドベンチャーは、いつだって大事故の危険と背中合わせだからです笑)。
ヨボヨボのジジイになってまでは舞台に立ちたくない、と、彼の美学を公表されたばかりですが、私たちはむしろ、道義さんみたいな完全な芸術家にこそ、ヨボヨボのジジイになってもその姿を見せ続けてもらいたい、私たちがそれを音にしてみせますから、と強く願います。でも、この世の何もかもに、永遠は無いから。数年前に癌を克服されて以降も、きっと体がお辛い時もあるんだろうと想像しながら、驚くばかりのエネルギーで活動されていますが、ご一緒させていただく一回一回を当たり前でないと改めて強く気づかさせていただきます。
何かうまく言葉にできないですけど。
とにかく道義さんがだいすき。
道義さんには言えないけど。
ちょっと質問に行くのが精一杯だけど。
永遠に生きてほしいです。


真冬のヘルシンキの寒さを思い出すと、ちょっと比叡山が白んでる程度の京都なんかまだまだだなと思うのに、京都は京都でじゅうぶんに寒い!
皆さんご自愛ください〜早く寝ましょう〜
Naoko Kotaniguchi Official Blog

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