チャイコフスキー第5番

こんなに悲痛な音楽があるだろうか、と、呆然とします。
チャイコフスキーの第5番。オーケストラで20年近く働いて、もう何度も吹いてきましたが、まだ、吹きながら、何という音楽だろうと震えます。

低弦を従えて、冒頭からクラリネット2本での長い悲歌が始まります。もうこれは、血の涙。これ以上ないという悲しさ、虚ろで、苦悶に満ちた、救われないことを知っている音を、自分の頭や心や体の中から探し出したいといつも思っています。
今度の指揮者は一体どんな要求をしてくるか…どんな要求が飛んできても応えられるように準備しますが、リハーサル初日にオハヨウゴザイマスをして、さぁ始めます…と指揮者が指揮棒を振り下ろす瞬間までは相手の胸の内は何も分からないので、それはもちろん、緊張します。
その瞬間から、相手がどんな音楽を求めているかを読みながら、それに対応しながら、それだけでなしに、こちらはどう思っているかというのも見せていく。一瞬一瞬がアチラとコチラの闘いでもあり、相談でもあり、共感の時間になっていきます。そしてもちろん、指揮者がどう思っていて、こちらはどう思っていて、それで結局どんなふうに音楽を運んでいくのかというのを、我々は背後から低弦の人たちにハッキリと分かるように音で示していかないといけないので(そうじゃないとアンサンブルにならない)、ひとつひとつの音の発音、推移、切り、テンポの運び具合など全てが雄弁である必要があって、これは結構神経を使う重労働です。
ひと区切りついて、次に続くファゴットとのデュエットのメロディも、また力なく、なんとも儚く虚ろです。
力なく重く暗いしばらくの中で、時々起こる胸を掻きむしるような苦しいsfや、こみ上げる嗚咽のような抑揚が、また深く迫ってきます。

第6番も、たまらない気持ちになりますが、5番も。
チャイコフスキーの人生を思って、言葉を失います。何度吹いても慣れることも飽きることもなくて、あまりの悲痛に、慟哭に、楽譜を見ながら、合奏しながら、本番で吹いていても、いつも、呆然とします。
でも、この音楽に救われる人は絶対いると思うのもいつもです。だから、チャイコフスキーの思いを出来るだけ音にしたい。

久しぶりの金曜ソワレ。
今回は、一回ではもったいないような本番になりそうです。お時間ご予定ゆるすようでしたら是非おはこびいただけましたら嬉しいです。


マエストロ・デスピノーザさん、今日は昨日より髪が短くなっていて、リハーサル開始の前、弦楽器がチューニングをしている時に目が合ったので、両手を耳の横にハサミチョキチョキのジェスチャーで

「(髪切った??)」

をしてみたら、同じくジェスチャーで

「(Ohイエス、切ッタョ!)」

が返ってきて、楽しかったです笑。
私より学年ひとつ若いマエストロ。
前回のチャイ5はラザレフさんにギッチギチにシボられた思い出が爆笑とともに忘れ難いですが(ラザレフさんの時の書き込みがあちこちに残っていて、今も語り草です笑)、今回も良い思い出たくさん残りそうです。嬉しい、嬉しい。

Naoko Kotaniguchi Official Blog

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