Imperial Rescript on Surrender
昨日の朝ドラは、1945年と1994年の終戦の日が舞台でした。
終戦の日にラジオから流れたらしい「玉音放送」が、英訳され、海外へ向けて国際放送されたこと、それを担当した人があったことを、今さらながら初めて知りました(本当に知らないことがたくさんで、恥ずかしいです)。
へぇ、と思って、興味をもってちょっと検索してみたら、英文どころか原文と現代語訳も出てきて、これまた恥ずかしい話なのですが、全文を読んだことすらないことに気がついて、朝ドラのこの日の録画を無限ループ再生しながら、すべてノートに書き出してみることをしました。
ウクライナとロシアのこと、私はロシアやプーチンを思う時に、日本も過去に他国を侵害したことについて恥ずかしく思う気持ちにも強く繋がって、そのこととタイミングが合ったこともありました。
残念ながら戦争が教科書の中の話で済まなくなってしまった今(私たちの世代には本当に社会科の勉強でしかなかったように思います、今思えばです)、昭和天皇の重い言葉を通じて、当時の日本や諸外国の名もなき市民の苦しみや犠牲や無念、権力者の愚かさ、それでもこの時に戦争をやめることに舵を切れたことの英断(遅すぎたとしても)、平和とはそれを択び続けなければ成り立たないということ…平成の両陛下が慰霊の旅を続けられていた姿など思い出したりしながら、いろんなことを考えさせられています。
原文の古い漢字の、物凄い画数の漢字に仰天したり(!)、英文の、私には今まで縁がなかったような戦争絡みの言葉やあらたまった単語を辞書で調べては感心したりしながらです。
あの時代に、おそらく物凄い緊張と動乱の中、昭和天皇のスピーチを英訳し、世界に発信した人の言葉選びのひとつひとつ、その思いを想像する中で、震えるような気持ちにもなります。
今のロシアに、この判断を下せる人がいれば。
日本の戦後教育に足りなかった部分でもあり、私が音大受験を決めたその日から受験科目以外の勉強を全て諦めたせいでも多分にあるこの無知を、これから少しずつでも補っていきたいと思います。歴史は繰り返されるし、遅くとも知ることの大切さを痛感しながら机に向かっています。…連日の痛ましいニュースをどうやって受け止めたらいいかいよいよ分からなくて、鉛筆を持って一心にノートに向かうことで気を紛らしているのかもしれません。
もし読んだことのない人がいらしたら、もし興味があったら、よかったら読んでみてください。検索したらすぐ出てきます。
私は、歴史や世界情勢について堂々と意見できるほどの深い知識をまだまだ持ちません。それをとても恥ずかしく思います。おかしなことを書いていたらすみません。
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学生たちに話を聞いていると、
「テレビはほとんど見ない」
という子が多くて驚きます。時代の変化は確かにあるし、今も昔も見なくていいテレビもたくさんあるし、時間の無駄と言ってしまえばそうかもしれないし、愚かな国の愚かなメディアは偏っているといえばそうかもしれません。だけど、それとは別に、いま世界で起こっていることを、目を逸らさずに、しっかり見て、自分で考えてみることをたくさんしてほしいと心から願います。ネットで縦横無尽に世界中から広く知識を得て自分なりの意見を持てているとしたらそれも素晴らしいと思います。だけれど、最も庶民的で簡単なテレビやラジオ、新聞などのメディアを広くチェックして、それが偏っているとしても、一体どんなふうに偏って、どんなふうに国民が情報操作されているかもしれないか、どれほど愚かか、それも含めて、感じてみることも大事なのではと考えます。スマホで見るネットニュースだって、自分の興味に徐々に自動的に傾いてくるそうです。いま世界で何が起こっているか、自分はどう思うか、何ができるか。真剣に考える練習を、日々疎まずにしてみてほしい。いま遠くウクライナで起こっていることは、間違いなく他人事では済まないし、若い世代の人たちのこれからにどれほどの影響があるか、それはコロナどころではない不安です。そうでなくてもコロナのせいで若い世代には外国が遠く遠くピンとこないものになってしまっている気がします。でも、家でスマホでゲームやYouTubeばかりでよくわからない、なんて言っていないで、自分の目や耳で見て聞いて、自分の頭で、心で、考えてみることを止めないでほしい。戦争は、市民の思考が停止して、無自覚に流されることから始まると思うから。
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