プロになる
6月の定期演奏会、そしてそれに続く静岡公演で2ndクラリネットとして客演してくれたのは、大学受験までを祐子先生に師事し、大学での4年間を私と一緒に勉強した子でした。
リハーサル初日から、管楽器セクションの面々に自然かつ丁寧に挨拶して回り(←自然にっていうのが結構難しい。少なくとも私は若い頃ちっとも上手にできませんでした)、日々の服装も無難かつ清楚にキチッとしていて、毎日ちゃんと元気に来る(←だいじ!)。あれほど大変だったメシアンと三善さんも誰より勉強して見事に吹きこなし(メシアンでは1stでもEsclでもなく2ndクラリネットに謎の高音域どソロがありました…)、…まぁ現代曲を頑張って勉強してくることは気合いがあればある程度はできるけれども、それに加えて、結構神経を使うサン=サーンスのコンチェルトもソツなく寄り添い、フランクのシンフォニーのような所謂普通の曲も隣で吹いていて何の違和感もなく吹いてくれていた、そんな彼女の姿ひとつひとつに、毎日毎日、祐子さんと一緒に、じわじわ感激しっぱなしでいました。
決して器用なタイプの学生ではありませんでした。ただ、レッスンで私がアドバイスしたことのひとつひとつを自分なりに考えて、必ず次に変化を起こしてくる子でした。同じことを二度指摘することも、同じ失敗を繰り返すことも無かったように思います。控えめながら自分の考えはきちんと持っていて、疑問があれば率直に聞いてくれました。頑張る子だったから私も一生懸命教えたし、結構長い付き合いにもなってきました。
でも、今回一緒に働いてみて、彼女がいつの間にか出来るようになった沢山のことを隣でありありと感じながら、あぁ、私が教えたことなんてほんのわずかだなぁ、ほとんどは、彼女が1人で考えて、想像して、勉強して得たことだなぁと、改めて、なんとすごいことだなぁと思いました。
卒業後にプロ奏者を目指す人が決して多いわけではない大学を出て、周りにシゴトの仕方を教えてくれる先輩がいるわけでもなく、彼女自身もこれまで決して多くの演奏機会に恵まれてきたわけではない、そんな中です。加えてコロナ禍。彼女が決意して歩んだフリーランスとしてのここ数年の努力を思い、ただただ感動するばかりでした。
最初に祐子さんのような先生に出会って、基礎をきちんと固められたことも、彼女にとっては大きな幸運だったでしょう。
彼女を真ん中に、祐子さんと3人並んでフランクのシンフォニーを演奏できるに至ったこの幸福を噛み締めながら、静岡おでんと新鮮なお魚をひととき楽しんで、新幹線に乗って帰ってきました。
新幹線では、何気ない話をしました。いつの間にか同じ舞台に立つ仲間として対等に話せるようになってきたことを嬉しく感じつつ、私は先に京都で降り、2人を見送りました。それまでの楽しかった1週間を思い返しながら、私自身が彼女の姿に深く励まされ、背中をさすってもらったような気持ちになっていることに気づき、じんわりしました。
「教える」仕事に携わらせていただく日々の中では、迷ったり、悩んだり、プロになりたいと思う人への指導は時に厳しくなることも多いです。だって、うんと厳しい世界に飛び込もうとしているのですから、何とか身を守る武器(技術)と知恵を授けなければと思う。こちらは、その厳しさがどれほどかを嫌というほど知っていて、自分自身も毎日毎日その厳しさに溺れそうになりながら何とか堪えて、リハーサルや本番をサバイブし、その合間に「先生」の顔をしてレッスン室に向かう。…で、教え終わって、帰り道。ふと我に返って、あ〜!あんなに一生懸命教えなくてよかったんじゃないかとか、そこまで細かいことを求めなくてもよかったんじゃないかとか、これでいいのかとか、自分は間違ってるんじゃないかとか、もっと楽しいレッスンを軽やかにしたほうかいいんじゃないのとか、いっぱい、迷ったり、反省したり、わからなくなったり、自分が嫌になって全部やめてしまいたくなったり、します。するんです。でも、そうじゃない。あんなに立派なプレイヤーに成長した眩しい姿を見せてもらったら、やっぱり、迷わないで一生懸命教えていこう、そんな風に思えました。きっちり、正しい技術と考え方をひとつずつ積み上げていく、その伴走を、私は私の方法でしていこう。反省と、改善の努力は怠らずに。自分で考える力と、変化する柔軟さと、身につくまで我慢する耐力のある子は、必ず、その先を自分で泳いでいける人になる。あんなに素敵になる子がいる。やっぱり、がんばろう。ありがとう。
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