ドイツレクイエム

久しぶりに、ドイツレクイエムを演奏しました。

大学1年生の最初のドイツ語の授業で、舩木先生が自己紹介のときに
『僕はブラームスのドイツレクイエムを初めて聴いた時に、最初のSeligの「e」の響きの美しさに圧倒されて、それでドイツ語を勉強することに決めました』
と仰っていたのを、ドイツレクイエムを演奏するたびに思い出す(舩木先生、男前風で、言葉少なで、雰囲気があって、いい声で、そして何より素晴らしい発音で、大好きだった〜…ということもついでに思い出す)んだよなぁ、と、また今回も思いながら、「Selig sind」で始まる第1曲をしみじみ聴いていました。

(学生時代は毎日を生きるのに精一杯で気づきもしませんでしたが、東京藝大、すぐ隣が東大だからか、語学の講師陣の先生方もさすがの猛者揃いだったようで、今やワーグナーのDVDをひらけば解説が舩木(篤也)先生だったり、お正月にウィーンフィルのニューイヤーコンサートを観ていたら小宮大先生(小宮正安先生…当時から大先生っぽい雰囲気だったのでみんなが「小宮大先生」とお呼びして慕っていました。院試前に私の危ないドイツ語をスパルタで見てくださった小宮大先生は私の大恩人であり神様です焦)がご登場なさったり、今さらながら平伏すような気持ちです。余談でした。)


今回の京都ミューズ合唱団の皆さんは、何と8ヶ月もかけて練習されたそうで、その集大成となる本番をご一緒できたことにただただ感激でした。本当に嬉しかったです。

一方で、その歌声を背中に受けながらふと頭をよぎったのは、
「あと20年も経ったら、こんな愛好家の合唱団が日本に残っているだろうか」
ということ。専門家でもないのに好きで歌を歌う人たち、そのエネルギーや、出会いや、機会や、精神的・経済的なゆとり。そういうことが失われていくことが、国が貧しくなるってことなのかなぁ、と、ふと思いました。

戦争をしないことも、むやみに命を殺さないことも、「教育」こそが不幸を遠ざける力なんじゃないかなと、しばらく前から、答えは出てる気がしています。人が死んだら戻ってこないこと、悲しむ人がいること、取り返しがつかないことをちゃんと想像できる人に育てること。人生を踏み外しかけた人を救う場があること、逃げこめる場があること。芸術文化やスポーツや、さまざまな『あってもなくてもいいけどあったほうが面白い』みたいな場所があると知ること。その他いろいろ。
普通の人が、ネットで材料を調達して作り方を覚えて家で銃を作れてしまう世の中になってしまった以上、規制をしても法律を作っても仕方がないのですから、もう、悪魔に魂を売り飛ばしてしまう人が出てこないように、心かよう生きやすい世の中にしていくしか方法はないんじゃないか。一人で大きなことはできないけど、私らは自分の目の前にいる子たちと真剣に向き合って生きてみよう。親しい友人たちと、そんな話をしていました。声をひそめて。


来年度からの京都市交響楽団常任指揮者が、沖澤のどかさんに決定したと、ついに公式に発表されました。記者発表をニコニコ動画さんで見ることができて、また、感無量。
これについては、改めて書きます。
Naoko Kotaniguchi Official Blog

Naoko Kotaniguchi Official Blog