Der Rosenkavalier《ばらの騎士》

うまく眠れない日が続いてしんどいスパイラルに陥ってしまう時もあれば、生きて(起きて)いる気力が減退してやたらに眠ってしまう時があって、この振れ幅がなかなかです。
今は後者のほうで笑、毎日、なんとか21時まで練習したら、あとはもう何にもやる気がおきなくて、お風呂入って寝る笑。←暇な証拠、というのとともに、自分としてはかなり元気がない時のサインではあるけど、眠れない地獄に比べたら寝られるのは天国なので、開き直って、喜んで寝ることにしています。だけど、22時台に寝たらさすがに目覚まし時計は要らないでしょう、と思って無防備に寝てしまった日、翌朝起きたら9時半!ということがあって、ビックリしました。10時半からリハーサル。危ない危ない…まだまだ若いのかもしれない…


学生時代、図書館の視聴覚室でオペラを片っ端から観ていた中で最も号泣した私の青春『ばらの騎士』を、いつかいい指揮者とピットで演奏できたらな、と長年夢見ながら、今回もまた組曲だけど、でも演奏できるのは嬉しくて、でも毎回胸がいっぱいになって、何かつらい。たぶん歌つきで全幕は私にはリアルでは耐えられない気がしています…


今回は、再びご一緒できるのをとても楽しみにしていたマエストロと。若い新鮮な筋肉を必要十分にまとった、お腹も出てなくておヘソが見えても全然嫌じゃないし変な色のパンツが見えたりもしない才能溢れるマエストロの美しいタクトを見ていると、思うことがたくさんたくさんあります。一生懸命、彼のロマンを音にしたい気持ちです。


若い頃に勉強したメモがたくさん残る譜面を見ながら、何とも言えない気持ちになりながら吹いています。
いま目の前にある愛を、疑う余地もないと思う《いま》があったとしても、自分の気持ちが、あるいは相手の気持ちが、どうしようもなく変化してしまうことがある、その悲しさと、諦める美しさをマルシャリンに、若い心という眩しさ強さ、そしてむごさを、オクタヴィアンとゾフィーに学びました。
リヒャルト・シュトラウスの音楽が、見事に心情描写していて感激します。気持ちの高まりや安らぎ、思いの交錯、ハッと気づく瞬間や、何もかもが、和音の変化や複数の声部の重なりや、美しい旋律の数々で鮮やかに示されます。稲垣みっちゃんのトランペットが銀に輝く薔薇をしっかりと連れてきてくれるし、オクタヴィアンとゾフィーが愛に気づく場面でクラリネットが
『こんなに幸せだったことが、これまでにあったでしょうか』
と歌うとき、ハープのエリさんがポロロロロロンと心の震えを添えてくれます。
マルシャリンが最後にオクタヴィアンから身を引く場面では高山さんのオーボエが切々と歌い、あとから聴こえてくる東口さんのファゴットがマルシャリンの気高い涙だと私は思っています。

…というわけで、頭がおかしくなりそうなのを『松』の緊張でゴマカしながらの、定期weekです。寝ます。

Naoko Kotaniguchi Official Blog

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