ラフマニノフ終わりました

学生時代に愛用していた、もう随分前に壊れたまま実家に置いていたCDプレイヤーを、先日、遂に捨てました。

大学進学で上京して、引越しと、身の回りの一揃いを揃えるために1日だけついてきてくれた母と一緒に、機械に全く詳しくない女2人で東京の巨大な家電量販店に恐る恐る行って、分からないなりに安いほうから2番目くらいのをようやく買って、だから今思えば本当に大したことのない機械でしたが、そのまま私の苦しい修行時代の相棒となってくれました。だから、捨てるに捨てられなくて。だけど、もう、断捨離なのです。

練習する時間を削るのがもったいないか、知らずに勉強するのが無駄か、いつも迷いに迷って、断腸の思いで楽器を置いて電車に乗って、食費を削りに削って財布に残したお金の中からなけなしの3000円を払ってCD1枚を買って帰り、アタリかハズレか分からないその3000円相当を恭しく開封し、アタリでありますようにと拝みながら再生したものでした。アタリであったなら、スピーカーの穴を睨みつけ、時にスピーカーに耳をへばりつけて、その穴の向こう側を一生懸命想像して、楽譜を手に、それはそれは、覚えるほど聴きました。そこから教わることが8割でした。レッスンまでに、穴の向こうの先人たちから必死に学んで、そして、レッスン室に、レッスンの先生に闘いを挑みに行っていました笑(本当に末端門下生だったので、先生に相手にしてもらうために必死だった)。時には、アタリだと思っていた先人が特殊ケースだったと判明したり!(一体誰を聴いたらそうなるの、と、師匠に一蹴される)、穴の向こうを想像する力が私にはまだまだ足りなかったりもしましたが、レッスンまでの時間は「考える訓練」として、本当に鍛えられたと思っています。リアルのレッスンでは、穴の中からは吸い取れなかった新しい刺激や、具体的なアドバイスがいただけて、ガッカリしたり、ガックリきたり、ボロボロになったりしながら、また立ち直って頑張る、また考える、やってみる、の繰り返しでした。

そんなこんなで、大事な相棒だったから、なかなか捨てられなかったのだけど。終活終活。

初代が壊れてから、次の機械は(それももう虫の息ですが)、主にオケに入ってから、オケの曲をさんざん勉強させてもらいました。初めての曲に取り組む時は、まず聴いて数える練習(←重要!)をして、それから、指揮者がどんなテンポでくるかわからないから、1曲につき最低3枚はCDを買って、そうしたら、だいたい一般的な速さの見当がつくので、練習に役立てました。聴いた中で1番速い演奏と、1番遅い演奏と、真ん中くらいの演奏のそれぞれとカラオケをして、初日のリハーサルで出来るだけ対応できるように努力しました。それでも、まだまだ思いがけない展開というのはありましたが笑。ソロの部分は、本当に擦り切れるほど聴きました。スピーカーの中の人が、一体何に気をつけて吹いているか、何を大事だと思っているか、何を聴いているか、あの席にいて吹いていたら周りはどう聴こえるんだろうか、この発音、あのレガート、それからブレスはどこでどんなふうに吸っているか…。私の先生は、スピーカーの中にいつもたくさんいました。いっぱい、一緒に吹かせてもらって勉強しました。CDプレイヤーの前にかがみ込んで、スピーカーに耳をこすりつけて、何度も何度も一緒に吹きました。わかることがたくさんありました。

時代は変わって、今は山のようにあるCDの中から目当ての1枚を探すよりずっと手軽に、スマホやパソコンの中に音源があって、私もすっかりそちらにお世話になることの方が多くなりました。そして私自身も、オケの中での経験が自分の中にも蓄積できてきたせいで、それほど聴かなくてもある程度想像がついたりするようにもなりました。
だけど、速くてこわい曲や、遅くてこわい曲、そして初めての指揮者や想像がうまくつかない時なんかは、やっぱり今でも、YoutubeやNaxosの中で聴ける限りの音源を片っ端から聴いて、初日リハーサルに備えます。

今回、ラフマニノフを演奏するにあたって、久しぶりにそれをしてみました。
第3楽章、誰がどう聴いても大感動でしょうみたいなことを前回書いてしまいましたが、すみません、撤回します。テンポがただ冗長だったり、運びが単調だったり、あまりに速かったり、驚くほど何にも思えない演奏も案外ありました。あれ〜おかしいな。
私が長年愛して聴いていたのは、青い空のジャケットが第3楽章の印象にバッチリな、アシュケナージ/コンセルトヘボウ。コンセルトヘボウの、どなたのソロなのか、結局知らないままだけど、ただ綺麗なだけで済まない、振れ幅のダイナミックなソロに心を鷲掴みにされます。オーケストラの中に入り込んだような、アシュケナージさんの音楽がまた、本当に素晴らしい。(以上、個人の感想です)
アシュケナージさん、お元気かな、またご一緒したいなぁ。はぁぁ。


ラフマニノフ、久しぶりに吹きました。どんなに練習しても、やっぱり私には息が苦しくて、どんなに吸っても吸っても、ソロの最後の音までもつ保証がどこにもなくて、なんと心清らかに神さま仏さまに祈りつづける1週間でした。そして、どんなにリードを備えても選んでも、1.2楽章でボロクソに吹きまくるのと2楽章がBb管なのと2楽章のスタッカート祭で完全にやられるのとで3楽章が来る頃にリードがどうなってるか皆目見当がつかなくて、なんかもう、やっぱりただただ運を天に任せるだけでした。優しいファゴットに誘(いざな)われて、最初の「ソ」が思った通りに入れたら、Gott sei Dank。あとは、コントラバスと仲良くして、弦の細かい動きの人たちに想像がつくよう明確に音楽の流れを示しながら、各所で予定通りに計画通りの空気を吸い込む。それがなかなか難しいから、本当にくるしいのだけれど。
ただ美しいだけの歌でも、ただロマンティックなラブソングなだけでもないと思っています。深いところに大きな痛みを感じる、激しいstruggleを経て諦めた人が、やわらかく笑ってるような歌だと感じています。私はです。知らんけどです。だからとても、3楽章は、吹き進めるほどに、なんともいえない気持ちになります。
ともかく2公演とも無事に終えられて、ホッとしています。前半チームもブラボーだったし。戸田くんのコールアングレも最高でした。
お忙しいなか聴きにきてくださった皆さま、本当にありがとうございました。


あー疲れた、と帰ってきて、夜は受験生たちのレッスンをしていたのですが、ここへきて突然人が変わったように上手くなってきた子がいて、ラフマニノフの安堵が吹き飛ぶ嬉しさでした。上手くなるって、楽器を吹くのが少し楽になるってことだから、見ていて自分のことのように嬉しいんです。正しく学んで実践できれば、必ずひとつずつ楽になれる。自由になれる。そのために、私が今まで勉強してきた中で私なりに正しいと思う技術や考え方のひとつひとつを、ご縁のあった人には、一生懸命伝えたいと思っています。
それにしても、上手くなるって、だんだんじゃなくて、待って待って待って、ある日突然ぴょこん、なんだなぁ。待って待って待つ日々はしんどいけど、我慢して努力し続けられる本人の頑張りと、我慢して信じて待ち続ける私の根気が要るんだなぁ。わかっちゃいるけど、その日が来るのは本当に毎度のことながら感激です。心折れそうになることも多いけど、こんな日があるから、また信じてがんばれます。ありがとう。

あんまり嬉しくて、今日はおやつでも焼こうかしら、と思ったけど、これ以降、各種リハーサルや本番が3月まで待ったなしなので、明日に備えて今日はおとなしく寝ることにします。おやすみなさい。みなさんもよい来週をお過ごしください◎
Naoko Kotaniguchi Official Blog

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