楽譜の旅

春に骨折した右手人差し指、8割がた爪が戻ってきて、水仕事もだいぶん怖くなくなってきました。つい数日前に、ヘアスプレーを人差し指で押せるようになって、ワァと感激。ホッチキスは、まだ、他の指で。


マーラー7番の楽譜、またものすごく書き込みの激しいレンタル譜が回ってきて、おののいています。今日は楽譜の話です。

モーツァルトやベートーヴェン、チャイコフスキーやブラームスといった、ごく一般的なオーケストラ作品の楽譜は、たいてい団が購入し、「自分のオケの楽譜」として所蔵・使用しています(京響であれば、[京都市交響楽団]のハンコがババンと押してあります)。ですが、あまり演奏頻度の高くない作品や、オペラやバレエ、それから、新しい時代の作品などはレンタル譜しか存在しないようなものもあって、そうなると、貸し譜屋さんから借りてきたレンタル譜で演奏します。
作品そのものが真新しいときや、本当に演奏機会の少ない作品などはそうでもないですが、多くの場合、それはそれは年季の入った、世界を旅してきたんだなぁという楽譜が手元にやってきます(国内だけで回ってるのかなというものも)。

楽譜を開くと、これまで演奏した人たちとの対話のような時間が始まります。書き込みに、学ぶことがとても多いのです。指揮者にこんなこと言われたんだなぁ、この人はここでブレスを取ったのか、ここで取った人もいたのか、こんな替え指があったのか!、なるほど〜ここで持ち替えるのネ(楽譜の指示通りの場所で持ち替えたのでは間に合わない場合や、何か事情がある場合に持ち替え箇所を工夫することがあります)とか。譜めくりが間に合わない箇所でスムーズに対応できるように既に細工が施してあったり、読み換えなくて済むように先人が書き換えてくれた譜面がペラリと挟まっていることもあります。団所蔵の楽譜であればそれは受け継がれた財産であり、貸し譜であれば「どこのどなたか分かりませんが感謝します神様ありがとうございます…」と楽譜に拝むこともあります。そうやって、学校では習わなかったことや、楽譜にないこと、CDを聴いても分からないこと、どこにも載ってないような秘密の技や情報を、楽譜を伝言板として、顔も知らない諸先輩方からたくさんのことを教わってきました。

団所蔵の楽譜だと、そのオーケストラの個性というか伝統みたいなものが、書き込みに現れることもありそうです。たまに、よそのオーケストラにお邪魔して、そうすると、当たり前ですがウチの譜面にはないような書き込みがあったり、持ち替えや譜めくりの慣習が違っていたり、そのオケの「いつもの感じ」みたいなのが見えてきて新鮮です。最近思うのは、たぶん、京響の楽譜は書き込みが少ないほうかもしれない。そんなところも京風なのかな笑。だけど、前首席のエストニア語が、ところどころに残っています。

レンタル譜だと、それはもう、旅のスケールが違いますから、振れ幅がものすごいです。だいたい、いわゆるガイジン(日本人でない人)の書き込みは、ダイナミックで、筆圧が高くて、フォントがデカくて、鉛筆がぶっとくて、消えない!笑…ことが多いです。もう、消そうにも、紙の繊維に怒りと怨念みたいなのが深く染み込んで、消えないったら消えない。難しいのは分かるけど、そんな、グワーって書いても、ぐるぐるぐるー!ってしても、吹けるようになるわけじゃないんだからさー!たのむよー!、って言いながら、一生懸命消す笑。肝心のオタマジャクシが見えないんだもん。何語かわからない言葉で書いてあることもあります。ごくたまに、韓国語とかも見たことがあります。最後のページに日付とサインが(もちろん鉛筆で)書いてあることもあります。そういう時はだいたい難曲で、時空を超えて達成感を共有できる気分になります。知ってるお名前を見つけてワーとなることもあります。自分の名前を書き加える人もいます(私はしたことないです)。
書いてあることや内容や頻度で、前に吹いた人のレベルや性格がだいたい分かることもあります。必要なことを必要最低限に、オタマジャクシと小節線をお目目がしっかりと追えるように、スッキリと楽譜がキープされていると、お、と思います。♯や♭の書き込み具合やちょっとした運指のメモなんかに、この人とは気が合うなとか、いろいろ、思う時もあります。不思議なもので、同じ内容を書くのでも他人の筆跡では目に入りにくいなんてこともあったり、ちょっとした位置取りのせいで見にくいと感じたりもします(♯、そんな離れたところに書いてたら気づかへんがなー!とか、そんなやつです)。書き方や見方にみんなそれぞれ癖があるので、どれが正解というのも無いんでしょうが、なので、できるだけ、「自分だけが分かる独自性に富んだダイナミックな書き方で、なにもかも書く!」のではなく、「必要最低限の書き込みにとどめる、誰が見ても見やすいような書き方を工夫する(後の人が消したかったら消せるような筆圧にとどめる笑)」というのは、結構大事なことで、自分も気をつけたいなぁと思っています。

7月のサロメも、元の印刷が見えないくらいにほぼ全てのページが真っ黒に書き尽くされていましたが、今月のマーラーも、ほとんど全てのオタマジャクシに♯♭が書き加えられていたり、余白の限りにガイドが書き込まれていたり(余計落ちる)、ドイツ語のお勉強ノートみたいになっていたりして全ページ真っ黒で、ガイジンのダイナミック各種と、ニホンジンの生真面目さ勤勉さ各種の併せ技が31ページに渡って繰り広げられていました…やる気と気迫は大いに伝わってきたのですが、あまりに情報過多だと目と脳と心がザワザワして危ないので、整理させてもらいました。消すだけで腱鞘炎になりかかりました。ふた月で消しゴムを2つ使い切りました…

逆に、前の人が書いていないところに自分で♯♭や何かを書き加える時は、痛恨です…
コネッソンの楽譜、まっさらではなくて、誰かが(たぶん一度?)演奏した形跡があるのですが、すごいです、ほとんど書き込み無しです…これは逆にザワザワします…中途半端なオケでは演奏出来ないことを、楽譜が物語っています…